新入局員の声
大学 江頭 千優
2025年度、5人の同期とともに新たに入局いたしました、江頭千優(えがしら ちひろ)と申します。2023年に入籍し、旧姓は岩田です。
山梨県富士吉田市で生まれ育ち、高校までは地元で過ごしました。その中で医師という職業に憧れ、山梨大学医学部に進学しました。2020年度に卒業し、そのまま山梨大学医学部附属病院で2年間、初期臨床研修を行いました。
医学生の頃から外傷医療に興味があり、初期研修中には整形外科と救急科のダブルボード取得を考えていました。まずは全身管理からしっかり学びたいと思い、山梨県立中央病院で救急科専攻医として勤務しました。
下の写真は、昨年度山梨県のローカルDMAT研修に参加した際のものです。

3年間、ドクターヘリやドクターカーによる病院前診療の現場に関わる中で、多くの外傷患者と向き合ってきました。急性期から亜急性期にかけて亡くなる症例や、外傷によってADLが大きく低下する症例も多数経験しました。救命ができたとしても、その後の社会復帰を左右する重要な要素のひとつが整形外科による外傷治療であることを実感しました。
救急科には腹部外科、集中治療、IVRなどさまざまなサブスペシャリティがありますが、やはり整形外科領域を深く学びたいという気持ちが一層強くなり、波呂教授にお願いして、このたび入局させていただきました。
1年目は同期全員が大学病院での勤務であり、助け合いながら何とか目の前の患者さんに向き合っています。医者6年目とはいえ整形外科としてはたった数ヶ月過ごしたに過ぎず、初めて経験することばかりで学んでも学んでも追いつきません。
まずは基礎からしっかり土台を造らねばという思いで、基本の処置、考え方など1から勉強していきたいと思っています。まずは整形外科専攻医にふさわしい知識と経験を身につけてから、さらに外傷分野の修練を積み、救急分野の経験を活かして山梨県の医療に貢献できる人材になりたいと思います。そのために、軽いフットワークと丁寧な対応を心がけ、患者さんも含め職場での人間関係を大事にできる整形外科医を目指します。
未熟者な点も多く、ご迷惑をおかけしていることと思いますが、1歩1歩邁進していきますので、引き続きあたたかいご指導をいただけますと幸いです。これからどうぞよろしくお願い致します。
大学 岩間 尚哉
このたび整形外科に入局させていただくことになりました、富山大学医学部卒業の岩間尚哉と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
私は中学校の時より軟式テニス部に所属し、大学生活でも軟式テニスを続けておりました。地道な基礎練習を重ねながら、試合に向けて仲間と励まし合い、時にはふざけ合い、共に汗を流す日々は、私にとってかけがえのない時間でした。その一方で、捻挫や筋肉の痛み、膝の痛みといった運動器のけがにも直面し、体を思い通りに動かせないもどかしさを何度も味わいました。そんな中で、整形外科の診療やリハビリによって再びコートに立てた経験を通じ、「体を動かせることの幸せ」を実感し、同時にその喜びを支える側になりたいと考えるようになりました。
大学では、整形外科の講義や実習を通して、運動器の構造や疾患に関する理解を深めました。また、初期研修では外傷患者の対応や術後管理、関節注射やギプス固定などの手技も経験し、整形外科の幅広い診療領域に触れることができました。患者さんが歩けるようになったり、痛みが和らいで笑顔を取り戻したりする場面に多く立ち会い、自分もその一端を担えたことにやりがいを感じました。
今後は、基礎から一歩一歩着実に力をつけ、知識と技術を兼ね備えた整形外科医を目指していきたいと考えております。将来的にはスポーツに限らず変形性疾患や慢性疾患などにも関心があり、自らの競技経験を活かしながら、けがや痛みで苦しむ人々を支える医師として成長していきたいと思っています。
まだまだ未熟ではありますが、謙虚な姿勢で日々努力を重ね、医局の一員として少しでも貢献できるよう励んでまいります。ご指導ご鞭撻のほど、どうぞよろしくお願いいたします。



大学 小河内 康弘
このたび、山梨大学整形外科に入局しました、小河内康弘と申します。
私は山梨県出身で、県内の中学校・高等学校を卒業し、山梨大学医学部に入学しました。
整形外科を志すようになったきっかけは、高校時代に前十字靭帯損傷し、手術・リハビリを経験したことです。怪我を通じて整形外科の診療に触れ、医師として人の生活の質を支える仕事の意義を実感しました。今ではバドミントンやスキー、ゴルフなどにも問題なく取り組めており、こうした体験が現在の進路選択に大きく影響していると感じています。

学生時代は、高校・大学ともにバドミントン部に所属し、日々練習に励んでおりました。大学では東医体に出場し、団体戦で最終試合を任された際には惜しくも敗れてしまい、非常に悔しい思いもいたしましたが、仲間と切磋琢磨した日々は今でもかけがえのない思い出です。また、部活動の枠を超えて、BBQやスノーボード、旅行や飲み会など、充実した学生生活を送ることができました。
旅行が趣味で、学生時代には国内外を問わず多くの地を訪れました。イギリスでは歴史ある街並みや荘厳な建築、アラスカでのオーロラ鑑賞、ボリビアのウユニ塩湖で見た壮大な景色など、忘れがたい思い出が数多くあります。ロンドン滞在中に、地下鉄のストライキに直面し、思いがけず徒歩とバスでの観光を強いられたり、東南アジアではお腹を壊したり、原付バイクで4人を牽引する乗り物に乗ったり、高値で商品を売りつけられるといった苦い経験もありましたが、かけがえのない経験となっています。
卒業後は、大学のたすき掛けプログラムを活用し、1年目は神奈川県の東名厚木病院で、2年目は山梨大学で初期研修を行いました。指導医の先生方をはじめ、多くの医療スタッフに支えられながら、実りある研修生活を送ることができました。
まだまだ知識・技術ともに未熟で、日々の診療では戸惑うことも多く、ご迷惑をおかけすることもあるかと思いますが、医師として貢献できるよう、一歩一歩着実に努力を重ねてまいります。今後とも、ご指導ご鞭撻のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。

大学 塚本 大貴
このたび、令和7年度より山梨大学整形外科に入局いたしました、塚本大貴(つかもと ひろたか)と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
私は東京都中央区で生まれ育ち、麻布中学・高校を卒業後、山梨大学医学部に進学いたしました。中高時代は軟式野球部に所属し、大学ではハンドボール部およびスキー部に所属しておりました。ハンドボール部ではゴールキーパーとしてチームの守備の要を担い、3年時には部長兼キャプテンとしてチームをまとめる経験もさせていただきました。
コロナ禍での部活動運営は困難も多くありましたが、チームで目標を共有しながら、良い雰囲気を後輩たちに伝えることができたことは、貴重な経験となりました。

また、学生時代にはダイビングや海外旅行などを通じて、国内外のさまざまな地域を訪れ、多様な価値観に触れることができました。
スキー部同期で訪れたエジプトでの1コマ
整形外科を志したきっかけは、高校時代に行われたOB医師によるリレー講義にあります。講師としてお越しいただいた、ラグビー日本代表セブンスチームのチームドクターである整形外科医の先生のご講演を拝聴し、スポーツと密接に関わる整形外科の魅力に強く惹かれました。
初期研修では外科系志望でさまざまな診療科をローテートしましたが、なかなか決め手に欠けたまま2年目を迎えてしまいました。そんな中、8月に富士川病院で整形外科を経験し、骨折患者さんがその日のうちに手術を受け、数週間後には元気に歩いて退院される姿に感銘を受け、整形外科のやりがいを実感いたしました。高齢化が進行する今後の日本において求められる分野であること、そして部活動の先輩方も多数在籍しており雰囲気が良いこと、将来的な進路の幅が広いことなどを踏まえ、初心を思い出して山梨大学整形外科への入局を決断いたしました。
4月より整形外科医としての一歩を踏み出し、日々上級医の先生方よりご指導を賜りながら、何とか食らいついている毎日です。先日、初めて日本整形外科学会に参加し、学会会場に掲示されていたサッカー・野球のトーナメント表を目にして、他の学会にはない整形外科ならではの文化を感じ、入局して本当に良かったと感じております。
現在は来年のサッカー大会本選出場を目指してリハビリ中です。中高時代に休み時間で楽しんでいた程度の初心者ですが、いつかは大会に出場できればと思っております。また、野球でもチーム結成を目指し、バッティングセンターでの“コソ練”を始めました。
未熟者ではございますが、一日も早く一人前の整形外科医となれるよう、日々研鑽を積んでまいります。今後ともご指導ご鞭撻のほど、何卒よろしくお願い申し上げます。
大学 入戸野 雅人
今年度山梨大学整形外科学講座に入局しました、入戸野雅人と申します。
私は山梨県韮崎市出身で地元の韮崎高校を卒業しました。その後山梨大学に進学し、2年間研修医として附属病院で勤務しました。
大学ではバレーボール部に所属していました。漫画「ハイキュー!!」の影響も少なからずありましたが、本格的にバレーボールを始めたきっかけは、アテネオリンピックでの試合に感動し、自分もやってみたいと思ったことです。残念ながら中高と男子バレー部がなく近所のママさんバレーに混ぜてもらったりしていました。
大学でのポジションはミドルブロッカー(MB)でした。MBはブロックの要であり、一般的にはチームで一番背の高い選手が担当します。私はMBとしてはかなり小柄で人より少し苦労した覚えがあります。それでも、「人より早く、そして高く跳ぶ」というモットーを胸に頑張りました。要は気合いです。サイドと比べると地味な役割でしたが楽しんでプレーしていました。

最近の趣味は旅行とスポーツです。最近は専ら国内ですが、学生や研修医の頃には海外旅行にも行っていました。スポーツは色々手を出していますが、特にスノボは友人と泊まりで行くくらい好きです。他にも1人で沖縄にサーフィンに行ったり、バスケやサッカーの試合を観に行ったりしています。
数ある診療科の中から整形外科を選んだのは、元々手技を伴う分野に興味があったことが大きな理由です。特に医師という専門職に就いたからには、実際に自分の手で患者さんを治療する「手術」に携わりたいという強い思いがありました。
研修医として様々な外科を回る中で、整形外科の疾患は患者さんの状態や治療後の変化が具体的にイメージしやすかった点が印象的でした。骨折や関節の疾患など、目で見て分かりやすい症状が多く、治療の目標設定もしやすかったのです。
さらに、整形外科が持つ「患者さんの人生を救う」という点に強く惹かれました。事故や病気によって身体機能を損なった方が、再び歩けるようになったり、スポーツができるようになったりする姿を見ることは、医師として最高の喜びです。手術によって患者さんの日常生活が大きく改善される様子を目の当たりにするたび、大きなやりがいを感じます。
整形外科の手術結果は、患者さんのその後の生活に直接的に影響します。そのため、常に最善の結果を追求し、細部にまでこだわる姿勢が求められます。この「結果にシビアになれる」という点も、私にとって大きなやりがいとなっています。自分の行った治療が、患者さんの生活の質を向上させることに直結しているという責任感と達成感が日々の診療の原動力となっています。
生まれ育った韮崎市での経験、山梨大学での研修医生活を経て、私は整形外科医として、患者さんの人生に寄り添い、その生活を豊かにすることを目指しています。

大学 山﨑 五月
今年度より、山梨大学整形外科に入局いたしました、山﨑五月と申します。山梨県忍野村の出身で、地元の中学校・高校を経て、山梨大学に入学いたしました。生まれ育ったこの地域には愛着があり、地元の医療に貢献できることを大変嬉しく思っております。
学生時代は水泳部に所属し、仲間たちと共に日々練習に励み、競技に打ち込んでいました。水泳は個人競技でありながら、チームメイトとの協力や支え合いが不可欠であり、その経験を通じて、目標達成のための努力の積み重ねの大切さ、そして仲間と協力することの重要性を深く学ぶことができました。特に、明確な目標に向かって計画的に取り組む力や、困難に直面した際に粘り強く挑戦し続ける姿勢は、現在の医師としての仕事にも大いに活かされていると実感しております。
また、趣味はスキーで、冬の季節になると、白銀の自然の中で身体を動かすことを心ゆくまで楽しんでいます。スキーを通じて、技術の向上を目指すことの面白さや、自分自身の限界に挑戦し続けることの大切さを学びました。このような経験が、医師としての弛まぬ自己研鑽にも繋がると確信しております。
整形外科を志望した理由は、患者様の人生に長く寄り添い、生活の質を向上させる医療を実践したいと考えたからです。骨や関節の疾患は、日々の生活に密接に関わるものであり、長期的な治療やリハビリテーションが必要となることが多々あります。そのため、患者様と深く、そして長く関わりながら、共に症状の改善を目指していく医療に強く惹かれました。現在、臨床の現場では、多くの経験を積ませていただいております。特に、診療を通じて、患者様が回復していく過程に寄り添うことができることに、大きなやりがいを感じています。
入局以来、日々の診療や研修を通じて、多くの貴重な学びを得ております。これから、より一層多くのことを吸収し、日々精進を重ねていく所存です。まだまだ至らない点も多々ございますが、今後とも一層のご指導ご鞭撻を賜りますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。

富士川病院 弦間 崇
2023年度、新入局員の弦間崇(げんま たかし)と申します。
私は山梨県出身です。小学生の頃よりサッカーを中心に様々なスポーツを習い、自然豊かな山梨で活動的な幼少期を過ごしました。中学・高校は山梨学院中学・高校へ入学いたしました。実は、2023年度入局の整形外科は6人中、4人が山梨学院出身であります。当時はそのようなことは想像もしておりませんでしたが、そこで素敵な同期と青春を共にいたしました。
大学は2015年に東京都新宿区に位置します、東京医科大学に入学いたしました。大学生活ではサッカー部に所属し、スポーツと医学の両方に励みました。
医師免許取得後は地元の山梨へ戻り、山梨大学医学部附属病院で2年間の初期研修を行いました。当時の研修医で私以外は山梨大学の出身であり、肩身が狭く感じておりました。そんな中で、サッカーを通じ整形外科の先生方と出会いました。どの先生方も優しく迎え入れていただき、研修のアドバイスや食事にも誘っていただきとてもアットホームな雰囲気でした。自分の居場所ができたようで嬉しかったことを今でも覚えております。
研修開始時は実家が開業していることもあり、最初は内科医になるものと考えて研修を行なっておりました。しかし、整形外科をローテーションした際に、ただ研修するだけでなく様々なセミナーや講習会へもお誘いをいただき、整形外科に興味を持ちました。そして、研修医2年目は整形外科を中心にローテーションを組み、入局を決意しました。
入局1年目は富士川病院に勤務しております。

外来も執刀の経験も少ない状態で整形外科生活がスタートしました。富士川病院は外来患者数も執刀数も多く、最初は出会う疾患一つ一つに慌てふためいておりました。そんな私にも優しくご指導いただき、なんとか整形外科生外科生活を送っております。
まだまだ至らぬ点も多く、勉強が必要な私ですが、先生方には今後ともご指導、ご鞭撻を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。
大学 麻野 康基
2024年度より山梨大学医学部整形外科に入局いたしました麻野康基と申します。生まれも育ちも山梨県の私は整形外科医として山梨県の医療に貢献すべく当院への所属を選びました。
外来で診察する一般的な整形外科的疾患から大学病院で提供すべき高度医療を間近に学ぶことができる環境で、日々経験不足を痛感する場面も多々あるため勉強に励み実践に挑む所存です。
専門分野の知識を覚えるため教科書を読み動画を観て(何よりも確実なインプットは診療の場で実際に診て対応すること)はいるのですが、専門外の本を読むことが億劫になってしまいました。読みたい本を買い、好きなテーマの本を買い、書店や書評で見かけた本を買い、いつ買ったかも覚えていない本を1冊読み終わるとすっかり本の待機列が出来上がっています。
これはいけないと思い、読める状況はないかといろいろ試してみると比較的長距離の移動中であれば集中していられることが分かってきました。学生時代には放課後の教室や図書館といった衆人環境でよく勉強していたことも思い出し合点がいきます。
移動中といってもハンドルを握りながら読書するのはご法度ですので、旅行に際した電車/飛行機の乗車/搭乗中が主な読書タイムになります。旅先で出会う風景や食事だけでなく移動時間「も」楽しんでいるつもりが、いつの間にか移動時間「を」重点的に楽しんでいるため手段と目的を混同しがちな今日この頃です。
話は変わって、私は小学生から(高校生を除き)大学生に至るまで陸上競技に取り組んでいました。競技を継続する中で怪我に直面しその経験から整形外科医を志す…といった劇的なエピソードには乏しく、淡々と自己記録の更新を目指し練習に励んでいました。
読書の時間だけでなく習慣になっていた走る時間すら失われつつありますが、競技そのものから離れているわけではなく大会の救護スタッフとして運営側に転じて関わりを保っています。
人間が走ったり跳んだり投げたりすることを止めない以上、怪我とは切っても切れません関係にあります。

その点では陸上競技も誰かが続ける以上、どこかで必ず怪我が発生します。怪我をしてしまった人に対しては勿論ですが、新たな怪我が発生しないよう未然に取り組むことも出来ると思い、最近では草の根からプロフェッショナルまで関わりたいという思いが芽生えました。
一人前の整形外科医になるには時間を要しますが、1人1人の患者様と向き合い考え続けながら進んでいきたいと思います。これからどこかで出会う方々へ向けて、どうぞ宜しくお願いいたします。
大学 權守 志映
今年度より山梨大学整形外科学講座に入局させていただきました、権守志映と申します。
山梨県出身で、地元の小中高を卒業後、山梨大学に入学しました。
大学では様々なことにチャレンジしようと思い自由参加である軟式テニス部に入部しました。ですが幼少期から体を動かすことが好きだったこともあり、気がつくと高頻度で部活に参加していました。特に幹部の時は、ほとんど毎日ジャージで登校するほど部活中心の生活を送っていました。夏は対策していても日焼けは避けられず、美容部員の方に驚かれたこともありました。ですが、先輩方や同期、後輩たちに恵まれ東医体で2年連続団体準優勝という自分の実力以上の成績を残すことができました。大変なこともたくさんありましたが、思い出すのは楽しいことばかりの最高の6年間でした。
診療科選択については、学生実習で手術見学が興味深かったことから、外科系診療科に進みたいと考えるようになりました。初期研修でも外科系診療科を多く選択しましたが、印象に残っているのは学生の時初めて術野に入らせていただいた変形性膝関節症に対する骨切り術でした。初めて見る術野に圧倒されたとともに、内反膝が矯正されたという手術の成果が術直後から目に見えて分かることに感動し整形外科の手術に魅力を感じたのを今でも覚えています。そして明るく気さくで、患者さんに真摯に向き合う先生方の姿にも憧れ、整形外科への入局を決めました。
入局してからは自分の不甲斐なさに落ち込みながらも、必死に先生方の背中を追いかける毎日を送っております。少しでもはやく先生方に近づけるよう精進して参りますので、今後ともご指導ご鞭撻の程よろしくお願いいたします。

大学 田中 雅人
今年度山梨大学整形外科学講座に入局しました田中雅人です。
文章を書くのはとても苦手なのですが簡単に自己紹介と入局の挨拶をさせて頂きます。
私は大阪で生まれ育ち中高は奈良の学校に通っておりました。父親の影響もあり医者を目指そうと受験に臨み運よく山梨大学に入学することが出来ました。当時の自分は世間知らずな子供でしたがアイスホッケー部に入部することとなり様々な挫折(留年など)を乗り越えて心身ともに成長させて頂いたと思っています。特に4年生(6年目)の時にはキャプテンを務めることになり貴重な経験となりました。
試合中、写真を撮られていることに気付いて、必死に悟られないように格好つけているところ
東医体準優勝記念
整形外科医を志したきっかけは父親が整形外科医だったというところが正直大きいです。物心ついた時から肩甲骨とゴルフの話しか聞かされてこなかったので?特に迷うことはありませんでした。実際に研修医1年目の8月に整形外科をローテしましたが初めてTHAを見たときの印象は今でも覚えています。最初に術野に入った手術というのも大きいですが、宇宙服を着た屈強な男たちの手で骨頭が出てきたときの爽快さやインプラントが次々と設置されていく何とも言えない達成感(見てるだけ)は気持ちの良いものでした。術後Xpのおばあちゃんに人工物が組み込まれているサイボーグ感も絶妙でした。やっぱり将来は整形外科一択だなと改めて思いました。
初期研修を終えたタイミングで大阪に帰ろうとも思ったこともありましたが結局山梨で専攻医となることを選びました。山梨での生活の居心地の良さから抜け出せなくなってしまっているのかもしれません。また、山梨大学整形外科学講座の医局は僕の偏見ですが体育会系なノリで雰囲気が良く親しみやすいです。先生方は整形外科医としても男としても尊敬できるような先輩たちばかりです。専門医以下の世代も研修医から同期のごんちゃんをはじめとして一緒に飲みに行ってふざけたり、時には真剣なことも相談できる心強い仲間です。(入学時は先輩~同期だった僕を邪険に扱わず仲良くしてくれます)正直今後ずっと山梨で勉強させて頂きたいというのが本音です。
整形外科医として働き始めてから数ヶ月経ちますが日々自分の未熟さを痛感しており、同時に諸先輩方の偉大さを感じます。少しでも追いつけるように日々精進する次第でありますので今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します。
大学 渡部 宏毅

今年度山梨大学整形外科に入局させていただきました渡部宏毅です。私は神奈川県で生まれ神奈川県で育ちました。高校は北海道で寮生活を行い、文武両道ややサッカー寄りの生活をしていました。その後卒業とともに神奈川県に戻り2016年より北里大学に入学しました。
サッカーが大好きで子供のころからサッカー三昧、趣味はサッカー観戦で横浜Fマリノスのファンです。大学生のころは関東での試合であればホーム・アウェイ関係なく観に行っていました。山梨に来てからも時々仕事を早退して横浜へ行き観戦することがあるほどマリノスが好きです。マリノスの勝ち負けで次の日からの体調が変化します。
大学では、サッカー部に入部し部活・バイトに没頭した生活を過ごしました。関東医歯薬獣リーグでは4部・3部と毎年のように優勝し2部まで一気に駆け抜けたのは今でも記憶に残っています(上手い先輩や後輩に恵まれただけで私はほとんど何もしてもせんが・・・)。主将も1年間努めストレスがたまることも、うれしいことも、悲しいこともいろいろな経験をすることができました。
初期研修の2年間は甲府共立病院にて行いました。山梨県での生活を選んだ理由は特にありません。他大学出身の研修医と、切磋琢磨し合いながら充実した生活を送ることができました。2年間の初期研修のなかで山梨の救急医療、地域医療の現場に多く携わることができました。
手術・リハビリを通して患者のADLが改善し明るく退院していく姿を何度もみて整形外科に魅力を感じ入局を決意しました。あとは全国大会を目指して週1回行っているサッカーも決断の後押しとなりました。来年こそは予選突破したいですね・・・。
整形外科医として働き始めてまだ数ヶ月が経ちました。迷惑をかける毎日で申し訳なく思うことも多いですが、しかし、先生方はいつでも丁寧に指導してくださいます。いつか山梨県の健康寿命増進に、貢献できる信頼される整形外科医になれるようあきらめずに頑張っていきます。また、優しくご指導いただいている先生方に恩返しができるよう日々精進していきます。至らぬところも目に付くと思いますがご指導・ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。
富士吉田市立病院 久保川 将志
今年度、山梨大学整形外科に入局させていただきました久保川将志と申します。山梨県甲府市出身で地元の小学校・中学校を卒業、甲府西高校を経て2015年に山梨大学医学部に入学しました。
大学では以前から続けていた剣道部に所属しました。私が剣道を始めたのは小学校入学より前です。地元の道場で祖父が剣道の先生をしていたことがきっかけで、それ以来、剣道に人生の半分を費やしてきました。その影響もあってか、医学部剣道部だけでなく全学(医学部以外の学部)剣道部にも所属し、ほぼ毎日練習に明け暮れました。今思えば身体・メンタル共に鍛えられたのは言わずもがな、医療とは関係のない分野の方とのつながりを作ることができ、よい経験になったのではないかと思います。

大学5年生のときに医療系の関東大会で個人準優勝したときの写真です。
6年生は某感染症の影響で大会が全て中止になってしまったので、不完全燃焼気味でした。
大学卒業後は山梨県立中央病院で2年間初期臨床研修を行いました。県内で唯一の3次救急病院ということもあり、緊急性の高い疾患や高エネルギー外傷の患者さんを多く診察させていただきました。特に2次救急当番は研修医の活躍の場であり、救命救急科や各診療科の先生方のフォローの元、患者さんの診察・診断・処置などを経験させていただきました。知ってさえいれば研修医でもある程度対応可能なことも多く、自身の成長を実感できる良い場だったと個人的には思います。

研修医1年目の4月に病院屋上のヘリポートで撮った写真です。
同期達と切磋琢磨した2年間はとても楽しく良い思い出です。
私が整形外科を専攻した理由は、自分自身、怪我をすることが多く、近くの整形外科で度々お世話になっていたからです。先述の通り、明らかにオーバーワークな練習量をこなしていたため、小学生の頃から両膝や左足、左手首などを痛めて、その度に近所の整形外科に受診しては休む期間や対処法、予防策を教えてもらっていました。また一緒に練習していた子の多くが腰を痛めて苦労しており、それが原因で辞めてしまった子も少なくありませんでした。スポーツを行う上で怪我は選手生命に大きく関わるものであり、そのような方の手助けをしたいと考え、整形外科医になろうと思いました。実際に実習や研修で整形外科に触れてみて、骨折や麻痺などで歩くことができない方が手術後は自身の足で退院していく姿を見て、とても感銘を受けると同時に、整形外科の奥深さを知ることができました。
整形外科医として働き始めて、早くも3ヶ月経ちましたが、自身の知識不足や手技の不手際を様々な場面で実感しています。ご迷惑をお掛けすることも多いかと思いますが、日々精進していきますので、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。
大学 白須 敬士

今年度山梨大学整形外科に入局させていただきました白須敬士です。私は山梨県で生まれ山梨県で育ちました。大学受験を経て、2015年山梨大学医学部医学科に入学することができました。
山梨大学に入学してからは勉強面を含め充実した私生活を送ることができたと思っています。新しいことにチャレンジし、仲間達と共にフットサル部を創りました。今まで剣道しかしたことがなかったため球技には不安がありましたが、社会人チームなど大学学外の方と盛んに交流し様々な刺激を受けて成長することができました。また、ボランティア活動を通じても様々な職業の方と交流し、チームとして医療に従事する下地を作ることができたと実感しています。

初期研修は山梨県立中央病院に勤務しておりました。他大学出身の研修医と、切磋琢磨し合いながら充実した生活を送ることができました。2年間の初期研修のなかで様々なプロフェッショナルたちと山梨の救急医療の現場に多く携わることができ、今まで育てていただいた地元山梨に、医療という形で恩返しをしたいと固く決意しました。
山梨の健康寿命増進に、一つでも多く寄与させていただきたいです。至らぬところも目に付くと思いますがご指導・ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。

大学 杉田 智佳子

この度、山梨大学整形外科に入局させていただきました、杉田智佳子と申します。山梨県出身で、山梨学院中学・高校に通い、山梨大学に入学しました。
大学では硬式テニス部とスキー部に所属し、夏も冬も日焼けに負けず活動していました。
また今しか行けないを理由に旅行にもたくさん行きました。1年生の時にアラスカでオーロラを見たことは一生の思い出です。他にも、本場のビールを求めてドイツへ行ったり、ニューヨークでミュージカルを見たり、とても貴重な経験ができたと思います。国内、国外飛び歩いていました。親からは出世払いということでたくさんの借金を作って。

5年生の時には両親の老後の趣味で始めたバイクに私も便乗し、大型二輪の免許を取りました。週末天気の良い日には父や父の職場の方々とツーリングに出掛けています。整形外科ではバイク事故の患者さんを診察することが多く、みんなから心配されますが、風をきって走る爽快感はやめられません。ぜひ一緒にツーリングしてくれる方を募集しています。
研修医になってからはゴルフにも手を出しはじめました。先輩や同期にもゴルフをする方が多く、ラウンドにもよく誘っていただいています。

大学卒業後、一度は山梨県から脱出してみたいと思い、初期研修は大学のたすき掛けプログラムを選択し、1年目は沼津市立病院、2年目は山梨大学で研修を行いました。コロナ禍で何かと制限が多い研修でしたが、良い先生や同期に恵まれ充実した研修生活を送ることができました。
整形外科医として働き始めてまだ数ヶ月程度ですが、先生方はいつでも丁寧に指導してくださいます。手術中など力が必要な場面では(整形は力じゃないと怒られそうですが)、手伝ってくださったり、応援してくださいます。ミスした時も的確なアドバイスとフォローをしてくださいます。
わからないことも多く、診察も一杯一杯な感じが出てしまっていると思いますが、それでも患者さんからありがとうと感謝されるととても嬉しく、頑張ろうと励みになります。一人でも多くの患者さんに笑顔になってもらえるように、そして先生方のように立派な整形外科医になれるよう日々精進してまいります。まだまだ未熟な私ですがこれからもご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

大学 花形 圭祐
今年度、山梨大学整形外科に入局させていただくことなりました花形圭祐と申します。まずは簡単に自己紹介をさせていただきます。生まれは山梨県甲府市です。地元の小学校を卒業した後、駿台甲府中学校・高校に通い、山梨大学医学部医学科へ入学しました。
医学生の時は内科的疾患について学ぶことが多かったため、内科医を志した時期もありました。しかし実際に働き始めると、整形外科の魅力を感じるようになりました。私が研修していた病院では生命に関わる重症患者さんに治療を行っており、重症外傷を負った患者さんを沢山目の当たりにしました。先生方の深夜まで及ぶ手術と患者さんの術後の懸命な努力で歩けるようになるまで回復する姿をみてとても感動し整形外科への憧れが強くなりました。また、整形外科には多くの専門分野があり若者から年配の方まで広く関係する分野です。スポーツによる怪我、交通事故及び高齢者の骨折など、幅広い事象に貢献できる整形外科にやりがいを感じています。自分自身も、大学の整形外科に通院していた時期があり、先生方の診察や治療で助けられました。病気や怪我の患者さんに寄り添い少しでも不安や苦痛を和らげることができるような医師になることで、恩返ししていきたいと思います。
医師として働き始めると、知識や技術はもちろんのこと、体力や精神力が大切だと感じています。幼少期には、水泳と空手教室に通っていました。今でも身体づくりと忍耐力を養うのに役立っていると感じています。学生時代には、勉強の合間に、卓球、スキーやスケートなど、いろいろなスポーツを楽しみました。大学では水泳部とゴルフ部に入り、社会人になっても時間ができると仲間とコースに行っています。雄大な自然の中でプレイすることでとてもリフレッシュできています。同時に、幅広い人間関係を築くことができ勉強になります。
今年は自分を含め6人の同期が入局しました。みんな親切で優秀な仲間たちです。今後も同期と高めあい山梨の整形外科の一端を担うことができたらと思います。まだまだ至らぬところが多くご迷惑をおかけすることも多いかと思いますが、精一杯頑張りますので御指導御鞭撻の程、よろしくお願いします。
大学 三井 康平

今年度、山梨大学整形外科に入局させていただきました三井康平と申します。山梨県甲斐市出身で山梨学院高校から山梨大学に進学し研修も(たすき掛けプログラムで1年間中野総合病院にお世話になっていましたが)山梨大学を選択しました。
山梨大学ではボート部に所属し、ほぼ部活以外の記憶がないくらいの生活を送っていました。春から夏のボートのシーズンになると週5~6ほど朝練があり、毎朝4時に集合して河口湖に向かい練習が終わると湖の香りを体にまとわせたまま大学に戻り授業を受けるという迷惑行為をいたしておりました。授業後も午後練習があり、今思い出してもなかなかハードな生活を送っていたようです。しかし、きついだけでなく部活の仲間との絆を深めたり、厳しい状況をみんなで乗り越えたりと得難い経験ができたと感じております。個人的に目標にしていた東医体優勝も先輩方・同期・後輩、支えてくれた方々のおかげで達成でき満足した結果で終われたと思います。

大会前に円陣を組んで臨むところです。
キャプテンの特権を使って中心に写してもらっています。
研修医1年目は新渡戸記念中野総合病院に勤務していました。初めての山梨県外での生活かつ知っている人間がいない病院ということでかなり身構えながら東京に向かったような気もします。幸いにも研修医の同期に恵まれ支えあいながら研修医生活を送れたように思います。仕事終わりにみんなでテニスコートを借りて練習したり、同期の部屋に集まってサッカーを見たりなど短い間でしたがいい思い出ばかりで本当に感謝でいっぱいです。仕事に関しても研修医ながら積極的に医療に参加でき基本的な経験を積めたと思います。そんなこんなで一年が過ぎ、山梨大学で二年目の研修医生活が始まり久しぶりに会う同級生たちの成長に驚いたような気もします。自分の大学ということもあり安心して働けました。
長いようで短かった研修医生活が終わり、整形外科に入居させていただき三か月が経とうとしています。素晴らしい先生方や頼りになるスタッフに囲まれて研鑽を積むことができており、この医局に入ってよかったと日々感じています。大学生活、研修医、そして現在、幸福にも恵まれた環境で生活できていると思います。人との縁を大切にしつつ、お世話になっている多くの方々に恩返しできるよう精進していく所存であります。至らぬ身ではありますが今後ともご指導ご鞭撻のほど何卒よろしくお願いいたします。

中野総合病院の愛する同期と先輩たちです。彼らに肖像権はないものとしています。
安永 開

はじめまして、昨年度から山梨大学整形外科に入局させていただいた安永開と申します。
私は山梨県と長野県の県境、長野県富士見町の自然豊かな山々に囲まれて生まれ育ちました。私ごとではございますが、標高1300Mの山の中で生活し、家の隣は小さなスキー場でした。そのためウインタースポーツを経験しており多くのケガもしました。その都度、応急処置を受けるために車で30分以上離れた町唯一の病院へ行き、さらに手術などが必要な場合はそこからさらに30分程度離れた中核病院へ行く必要がありました。
この頃から医師を目指しはじめ、多くの人に医療を提供したいと思いはじめました。
高校は山梨県北杜市の甲陵高校に進学し、自治医科大学に入学、2011年に卒業しました。
小中学校は剣道、高校は弓道部に属し、大学在学中は空手道部に所属し、長年かけて武道の中心となる心技体(精神・技術・体力)について学び、実践してまいりました。これは医師として怪我や疾患と闘う上で、とても参考となる考えだと思っております。
卒業後は山梨県立中央病院での初期研修の後、山梨県身延町の飯富病院で地域医療に従事する整形外科医として勤務していました。
整形外科としての一般的な診察や手術はもちろん、地域医療でしか経験のできない山奥の診療所や足の不自由な患者様のご自宅への往診など、地域の患者様の生活に最も近い場所で医療を経験することが出来ました。そこで医療を提供する中で、整形外科についてより深く学びたいと思い、入局を志願いたしました。
波呂教授をはじめとする山梨大学整形外科の医局の皆様に温かく向かい入れていただき、本当にありがとうございました。
昨年度から入局させていただき、富士吉田市立病院で勤務をさせていただきました。
富士吉田では、地方拠点病院として、専門的な整形外科の疾患から自宅に退院するまでの幅広い医療を通して、新たな視点で整形外科に取り組むことができ、とても新鮮な1年間を過ごさせていただきました。
そして、今年度より山梨大学附属病院で勤務させていただける事となりました。
より高度な整形外科を学ばせていただき、さらには山梨の医療の発展、地域の方々の健康の増進に力になれるように頑張ってまいりますので、今後ともご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い致します。
天野 滉大

今年度山梨大学整形外科に入局させていただきました天野滉大です。私は山梨県で生まれその後は父の転勤で山梨県内を転々とすることが多かったようです。幼稚園年中の頃に現在も住んでいる甲府の自宅に落ち着き、そこから地元の幼稚園や小学校に通っていました。中学校からは私立に進学させていただき高校まで無事に卒業することができました。しかし高校では遊ぶことに集中していたため現役では大学受験に失敗してしまい、1年間県内の予備校に通って2014年山梨大学医学部医学科に入学することができました。
山梨大学に入学してからは勉強面を含め充実した私生活を送ることができたと思っています。部活は硬式テニス部に所属しました。今までサッカーしかしたことがなかったため手を使った競技には不安がありましたが、先輩方の丁寧な指導があったためとても楽しかったです。それに何よりも部活の雰囲気がとてもよく上下関係もしっかりしており社会人としての常識を学べるこれからの人生の糧となる6年間であったと思います。
勉強面に関しては真面目とは到底いうことができませんでしたが、なんとか6年間で無事に卒業することができ国家試験も1回で受かることができたので強運に恵まれたんだと思います。
研修医になって1年目は沼津市立病院に勤務しておりました。大学卒業まで山梨を出たことがなく他県での生活をしてみたく行ったのですが海辺の町で漁港も近くにあったため温暖な気候と魚介類の美味しさに虜になりました。研修医はいろいろな大学から集結しており学びが多く、切磋琢磨し合いながら充実した生活を送ることができました。そんな中、研修医2年目になり山梨大学医学部附属病院に帰ってきましたがやはり出身大学の病院は安心感があり働きやすく、大学病院ならではの学術的な勉強をすることができました。
さて私が医師、そして整形外科を目指した理由です。まず医師を目指したきっかけですが幼少期の頃に入院が必要な病気にかかってしまったことです。入院はここ山梨大学医学部付属病院だったのですが小児科の先生方には大変お世話になり無事に退院することができ、かっこいい職業だなと幼少期の頃に思ったことを覚えております。そして大学入学まで定期受診し今もこうして健康に生活できていることにとても感謝しております。この経験は私なりに山梨県の医療に貢献していきたいと考えさせてくれました。整形外科医を選択した理由は2つほどあり1つ目は父が整形外科医であり身近に感じたためです。研修で整形外科を回らさせていただいた時も居心地の良い職場であると感じ、ぜひ働きたいと考えました。2つ目はもちろん医学的な楽しさを見出すことができたためです。さらなる深みを感じれるように整形外科医としてこれからも精進していきたいです。至らぬところばかりでたくさん迷惑をかけることにはなるかと思いますがご指導・ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。



萩野 哲広

今年度、山梨大学整形外科に入局させていただきました萩野哲広と申します。まず、山梨大学出身でなく、滑り込みで入局希望を申し出た私を温かく迎え入れてくださった当講座に感謝申し上げます。
私は高校時代までは山梨で育ちましたが、若かりし頃には「どうしても山梨を出てみたい!出たい!出させてください!」と日々考えていました。その結果、願いが叶いすぎたのでしょうか、山梨から遠く離れた弘前大学へ入学することとなりました。幸いなことに大学生活は本当に楽しい思い出ばかりで自分の選んだ道は間違ってなかったと感じております。生活のほとんどは部活動(硬式テニス部)で大変でしたが、それも今となってはいい思い出です。勢いのまま研修医生活も青森で過ごすことになり結果的には8年間青森で過ごすこととなりました。
山梨に住んでいると年に数回降る程度の雪ですが、雪国ではむしろ冬はほぼ青空を見ることはありません。毎日毎日、モリモリと雪が積もり、せっせと雪かきが必要になります。車は一晩であっという間に雪だるま状態です。雪道慣れしていない県外出身の人だと道路がツルツルになると簡単に転びます。私もよくすってんころりんしていました(幸い骨折はしませんでした)。寒そうな話ばかりしていますが、実は暖房がどこもかしこも万全であり部屋も人もあったかい所です。灼熱の夏の盆地・甲府と極寒の本州最北端・弘前の双方を経験した私の結論は「暑さの方が辛い」ということです。しばらくの間、快適な夏を過ごしていたため、正直山梨の夏の暑さを忘れています。これからは夏バテしないように注意して生活していきたいと思います。
第2の故郷と言っても過言でない大好きな場所を離れ、地元で働こうと決心した理由の一つにコロナ下での心境の変化がありました。青森の生活では多くの出会いがあり、医師として働きはじめ充実した日々を送ることができ、正直何一つ不満な点はありませんでした。きっとコロナがなければ今も青森にいたかもしれません。しかし、コロナによって人とのつながりが制限されることで、地元山梨が遠くに感じるようになりました(実際800㎞あり遠いです)。その時から今を逃したら山梨に戻って働くことはないかもしれない、地元に戻って社会貢献するのも選択肢の一つでないかなど人生を見つめ直すきっかけができ、毎日毎日悩み続け最終的に山梨で働くことを決意しました。
数か月が経ち、ようやく新天地(地元ではありますが)での仕事にも慣れ始めております。素晴らしい先生方やスタッフに囲まれて研鑚を積むことができ、「入局してよかった」と日々感じております。まだまだ未熟者ではありますが、「入局してくれてよかった」と思われるように日々精進していく所存です。今後ともご指導ご鞭撻のほど、何卒よろしくお願いいたします。

硬式テニス部の集合写真。6年生であることを利用して真ん中で写真を撮られる自分。

東医体試合後にシューズに釘が刺さっているのが見つかり、もしかしたら破傷風になっていたかもしれない自分

研修医時代の通勤風景、奥に見えるのは岩木山。富士山に負けず劣らずの美しさです。
中澤 洋平

この度、山梨大学整形外科に入局させていただきました、中澤洋平と申します。山梨県甲府市出身で、山梨大学附属中、甲府南高校を経て、山梨大学へと進学しました。
山梨大学ではボート部に所属し、部活漬けの毎日を過ごしておりました。ボート部では朝練が週5、午後練は基本週6程度ありました。朝4時に集合し河口湖まで向かい、朝練後は大学に戻り授業を受け、授業後は大学で午後練というとてもハードな部活でした。とても厳しい先輩方と厳しい練習をし、メンタル面でも身体面でもだいぶ鍛えられたのではないかと思います。(写真1:引退試合の時の一枚です)
もともとスポーツが大好きだったということもあり、部活を引退してからはスノーボードやサーフィン、ボクシングなどに打ち込んでいました。また、バイトも飲食店やコンサート業、結婚式や工場など様々な職種を経験し、家庭教師や塾講を合わせるとバイトを5つ掛け持ちしている時期もあったりと、とても忙しい学生生活を送らせてもらっていました。
さて、自分がなぜ整形外科医を志したかですが、理由は大きく二つあります。一つは自分が小さい頃からスポーツが大好きだったので、将来もスポーツに関わる仕事がしたかったからです。自分も骨折・脱臼・脳震盪などを経験し、怪我と向き合いながらどう競技を続けていくかを考えることがありました。我慢できずに骨折や脱臼をしながら運動を継続してしまい、治るまでに数年かかってしまったものもあります(笑)。できれば怪我を未然に防げるような指導を、怪我をしてしまった際には最大限その後に影響を残さないような治療のお手伝いができたらいいなと思っております。二つ目は、医局の先輩方の姿を見て一緒に働きたいと思ったからです。やはり整形外科の先輩方にはスポーツをやってきている人が多く、ノリやテンポに共通するものを感じます。現に、職場の雰囲気はとても良く最高の職場で働けていることを自負しています。(写真2:整形外科の先輩方とサッカーを楽しませてもらっています)
整形外科医として働き始めてはや2ヶ月が経ちました。患者さんは皆、動かしづらかった体を難なく動かせるようになって笑顔になって帰っていきます。先日、上司と飲んだ時に、『歩けない患者さんを手術し歩けるようにしたら、手術前は患者さんの車椅子をひいて看病していた家族が、手術後は患者さんと手を繋いで一緒に歩くことができる』という話を聞きました。これは、患者さん一人の幸福度をあげる以上に周りにいる人の人生までを豊かにできることだと、私は感銘を受けました。患者さん、またその周りの方の人生を豊かにするお手伝いができる、私はこの仕事を心から好きになれる気がします。
最後になりますがまだまだ新米整形外科医として、自分の知識や手技の至らなさを実感することが多いです。ご迷惑をおかけすることもあるかと思いますが、熱意を持って取り組んでいく所存ですので、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。
大学 阿部 菜緒
はじめまして。今年度、山梨大学整形外科に入局させていただいた阿部菜緒と申します。
簡単に自己紹介をさせていただきたいと思います。私は、生まれも育ちも山梨県、高校は駿台甲府高校に通っていました。2013年に山梨大学医学部になんとか合格し、華の大学生ということで毎日のように遊び、バイトをし、部活をしていたら勉強のことをすっかり忘れていて、常に合格ラインぎりぎりを走り抜けていました。国家試験の時には周りの友達みんなに心配されるほどの学力でしたが、それでも無事に研修医になることができました。
初期研修は山梨大学のたすき掛けプログラムを選択し、1年目は沼津市立病院、2年目は大学病院で研修をしました。24年間一度も山梨県を出たことがなかったので、沼津に引っ越した初日はさみしくて泣いていました(笑)。ですが、研修医の同期や先輩に恵まれたおかげで充実した一年間を過ごすことができました。
また、同期に誘われてゴルフをはじめたらハマってしまい、30℃を超える真夏でも、グリーンが凍っている氷点下の真冬でも、ラウンドに行っていました。山梨県にもたくさんゴルフ場があるので、コロナが落ち着いたら山梨県整形外科ゴルフコンペを開催しようと目論んでいます。2年目の大学病院での研修は、懐かしいと思いつつ、カルテの使い方(沼津市立病院は違うカルテだったので)や新病棟の場所などすっかり忘れていて、慣れるまでは少し大変でした。また、ちょうどコロナ渦になってしまった年だったので、どの科を回っても飲み会は開かれるはずもなく、少し寂しい1年でした。
私が整形外科医を目指そうと思ったのは、大学時代スキー部に所属していて、2年生の大会前日に練習で転倒し前十字靭帯を断裂してしまい、悔しい思いをしたのがきっかけでした。国立甲府病院の落合先生に再建術をしていただいて、競技復帰もすることができ、“私もスポーツで怪我をした人を治したい!”と思いました。実際に初期研修で整形外科を回ってみると、スポーツ以外にもいろいろな分野があり、魅力的だと感じました。また、医局の雰囲気も楽しく、onとoffの切り替えがはっきりしているところも良いと感じました。フランクに質問をしたりくだらない会話や黒歴史で盛り上がったりできるのも、優しい先輩方がいるからこそだと思います。まだまだ半人前にもなれていないですが、少しでも早く先輩方のような立派な整形外科医になれるよう、日々精進していきたいと思っておりますので、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。
大学 後藤 豪
この度、山梨大学整形外科に入局させていただきました、後藤豪と申します。生まれは神奈川県相模原市で、中学校からは東京都八王子市で育ちました。高校は都立国立高校で、山梨とは無縁の生活をしておりましたが、2012年に山梨大学進学とともに初めて山梨へ住まいを移しました。
山梨大学へ入学してからは、サッカー部に所属し、部活漬けの毎日を過ごしておりました。4年生の時にはキャプテンを務め、チーム一丸となって目標に向かう難しさとそれを乗り越えた時の達成感を味わいました。その頃から、サッカー部の顧問教授であった波呂教授とサッカー部OBの先生方にお世話になる機会も多く、元々スポーツ医療に興味あったこともあり、整形外科に親しみを感じていました。
学生時代のサッカー部
実は、サッカー部のキャプテンが終わった4年生の終わりに、部活と医学部の勉強以外の知らない世界を知りたいという気持ちが強くなり、一年間休学してバックパッカー旅をしております。結果的に世界一周となったこの旅でしたが、たくさんの貴重な経験を得られました。他の文化圏の人とたくさん知り合えたことや、観光地を巡ったことはもちろんですが、危ない目に遭った経験も含めて、行って良かったと感じています。今後皆さんとお会いできた時の話のきっかけになればと思っています。
世界一周中
旅での経験から、初期研修は都心よりも自然豊かな土地でやりたいと思い、石川県金沢で研修しておりました。3次救急まで受け入れていた病院での研修は、外傷症例等も多く経験することができました。そこで患者さんが治って笑顔で帰ることのできる整形外科の魅力に気付かされました。金沢で過ごした二年間、山も海も近く自然豊かで、海鮮の美味しい北陸に惹かれることも多かったです。同期や先輩方にも恵まれて、休日も公私共に充実した生活を送っておりました。しかし、金沢にいるにもかかわらず山梨から気にかけていただいた先生方、特にサッカー部の先生方の存在が大きく、山梨大学整形外科に入局することを決めました。
山梨での整形外科医としての生活は、自分の知識や手技の至らなさを実感することが多いです。ご迷惑をおかけすることもあるかと思いますが、熱意を持って取り組んでいく所存ですので、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。
初期研修先での一枚 日本海サイクリング
大学 竹居 隼人
今年度、山梨大学整形外科に入局させていただきました竹居隼人と申します。山梨県山梨市出身で地元の小学校、中学校を卒業、甲府南高校を経て2009年に山梨大学医学部に入学しました。大学では以前から続けていたラグビー部に6年間所属し、練習・試合と飲み会いずれにも力を抜くことなく真摯に向き合い活動しました。山梨大学卒業後はNTT東日本関東病院で2年間初期研修医として勤務し、都内の医学はもちろんのこと、プライベートにおいても色々と貴重な経験をすることができました。

学生の頃はどの診療科も魅力的で志望科を決めかねていましたが、初期研修を送る中で患者のADL向上に直結する整形外科を志すようになり、初期研修終了後は東京大学整形外科・脊椎外科教室に入局させていただきました。半年間の東京大学医学部附属病院勤務を皮切りに、その後は医局人事にて佐久市立浅間総合病院、東芝林間病院、都立広尾病院でそれぞれ1年ずつローテート勤務を経験し、2021年3月には無事に整形外科専門医資格を取得することができました。

元々愛する地元である山梨に戻って仕事がしたいと考えていたため、このタイミングで山梨大学整形外科に改めて入局し直させていただくことを決断し、幸い前医局にも快く送り出していただけました。2021年4月からは山梨大学医学部附属病院にて脊椎診チームに所属し勤務させていただいております。医局の雰囲気も良く、大学病院ならではの今まで経験したことのない症例に接する機会がとても多いため、新鮮で刺激的、充実した日々を送ることができています。
今後は地元である山梨に自分の学んできたことを還元し、少しでも地域の医療に貢献できればと思っています。このところたるみがちですが、趣味の筋トレ・プロテイン摂取も欠かさずに頼れるマッスルドクターになることが今の目標です。
まだまだ至らぬ点も多いですが、初心を忘れず日々精進して参りますので、今後ともご指導ご鞭撻のほど、何卒よろしくお願いいたします。
大学 矢野 明彦
今年度山梨大学整形外科に入局させていただきました矢野明彦です。
私は岡山県倉敷市、瀬戸大橋の架かる児島というところで生まれ育ちました。小学校から高校まで野球(小学校はソフトボール)ばかりで、将来はプロ野球選手を夢見て甲子園出場歴のある県立の進学校へ進みました。実際高校2年の春にチームは甲子園に出場しましたが、ベンチ入りを逃しアルプススタンドで応援したのは今となってはいい思い出です。
そんな中、高校2年の夏、外野守備練習中に他選手と衝突し、脛骨骨折、腓骨骨折のため長期離脱することになりました。さらに偽関節、再手術、変形治癒となり結局復帰することは叶わず、夢を断念することになりました(プロになる程の実力がないことは薄々感じてましたが苦笑)。
しかしそれを機に医療に興味を持ち、浪人を経て徳島大学医学部に入学することができました。大学時代は満足にできない野球よりも新しいスポーツ(特に走る必要のない競技)に取り組みたいと考え水泳部に所属し、団体で個人競技をやるという新しい経験を得ることができました。初心者ながら自由形と背泳ぎを専門として毎日練習に取り組み、上達を目指すのはとても楽しかったです。医学部キャンパスの部活ではなく、工学部や文系学部と同じ部活だったので、様々な仲間、応援してくださるOBの方々と全国大会の団体出場権を目標に切磋琢磨する日々は何事にも代え難い経験となりました。
卒業後の進路として妻の地元である山梨で整形外科医になることを考え、初期研修から山梨大学でお世話になっております。元々スポーツが好きで、スポーツ選手の力になれるような整形外科医になりたいと思っています。まだCOVID-19関連の話題が尽きない中ではありますが、大谷翔平選手のメジャーリーグでの活躍や、オリンピック開催などあり個人的には楽しみが多い年になりそうです。
晴れて入局させていただいたからには、医局関連の皆様とともに山梨の整形外科を盛り上げ、患者さんの運動機能改善の一助となるべく精進して参ります。若輩ゆえにご迷惑をおかけすることもあると思いますが、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。
遠藤 とも香

この度、山梨大学整形外科学講座に入局させていただきました、遠藤とも香と申します。出身は山梨県身延町、サルやシカが道路に出現する町で育ち、地元の小・中学校を卒業しました。その後山梨学院高校へ進学し、2012年に山梨大学医学部に入学しました。
大学では水泳部と茶道部に所属していました。部活動では、泳いだことのないバタフライをゼロから教えてもらい大会で200mバタフライに挑戦してみたり、京都で行われる茶道セミナーに参加するため厳しい先生のもとへお稽古に通い続けてみたりと、これまでの人生にはない経験が沢山できました。
ちなみに、整形外科入局同期の亀山くんは水泳部でも同期で、これまで様々なことで支えてもらってきた心強い存在です。つい最近その亀山くんの影響で10kmマラソンに出場し、完走する達成感を知ってしまったので、今度はフルマラソン完走を目標にしてみようと密かに考えているところです。


整形外科医を志した大きな理由は2つあります。
1つ目は、患者さんのQOLを大きく改善させる仕事に魅力を感じたからです。学生のときの病棟実習で担当させていただいた、痛くて動けなくて泣いていた患者さんが手術後には笑顔で旅行の計画を話してくれたこと、そしてそれを見る家族の笑顔が心に残っています。今、自分が正しい対応をするかどうかで目の前の患者さんの将来が全く違うものになることがある、というところも整形外科に惹かれたポイントです。
2つ目は、医局の先輩方の姿を見て、「この人たちと一緒に働きたい」と感じたことです。先輩方は皆さん個性的で我が道を行っている面白い医局なのですが(笑)、それでも共通しているのは、それぞれが仕事に対し熱い気持ちをもっていて、患者さんのことを心から考え日々勉強し診療にあたっていることです。先輩方をみて、私もこの人たちのようなカッコいい医師になりたいと憧れ、ついに当整形外科に入局させていただいた次第です。
とは言ってもそう簡単にカッコいい医師になれるわけもなく、日々分からないことばかりで、手際も悪く、1つ勉強するごとに整形外科の範囲の広さや奥の深さを感じ、途方に暮れそうになっている毎日です。それでも、泳いだことのないバタフライをゼロから練習した時の心持ちで、患者さん1人1人の診療を大切に、一歩一歩成長して先輩方のようなカッコいい医師に少しでも近づきたいと思っておりますので、これからもご指導ご鞭撻のほど、何卒よろしくお願い致します。
亀山 啓吾

みなさん、はじめまして。令和年度、初回入局員となりました亀山啓吾と申します。
偉大な先輩方の後輩として山梨大学整形外科講座の医局員となれたこと心より喜ばしく思います。波呂教授をはじめ、医師としてとても尊敬できる先輩方の元で勉強したいと思い入局を決心しました。“一生ついていきたい“と思える先生に出会えたことは本当に幸せなことだと思います。手術に向かう先輩方の姿勢は本当にかっこよく、患者さんに真摯に接する姿に心を打たれている日々です。患者中心の地域医療の実践、医療安全に十分配慮した多部門での高度医療の提供、臨床・基礎研究など、先輩方の背中を追って精進していきますのでご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。
拙い文章でありますが簡単に自己紹介をさせていただきます。私は生まれも育ちも埼玉県深谷市、高校は埼玉県立浦和高等学校、大学から山梨の地に降り立ちました。
中学から大学まで水泳一筋で全国中学・インターハイ出場、東医体は5年連続チャンピオンです(自慢)。
自分が頑張ってきたからこそスポーツを一生懸命頑張るアスリートの故障にも、患者さんの気持ちにより沿った治療ができるのではないかと考えています。


山梨大学を卒業してからは『たすきがけプログラム』で研修医1年目は東京の中野総合病院、2年目は山梨大学で研修させていただきました。2年間のうち半分以上外科系(整形外科、消化器外科、乳腺外科、形成外科)での研修をしました。手術時にスイッチが入り、集中していく外科医の雰囲気がとてもかっこよく好きです。
研修医になってからはトライアスロンにも挑戦し、2年間で4回レースに出場しました。出場した距離はオリンピックディスタンス(OD)と言いスイム1500m、バイク40km、ラン10kmです。数年以内にアイアンマン(スイム3800m、バイク180km、ラン42.195km)にも挑戦しようと思います。ラン強化目的にフルマラソンにも挑戦しました。初フルマラソンで『サブ4』(42.195kmを4時間以内で走ること)したかったのですが、4時間13分と達成できませんでした。残念。

今年の同期入局の遠藤先生とは大学水泳部の同級生です。
マラソン大会も一緒に出場しました。二人で助け合って頑張ろうと思います。
最後になりますが、来年以降入局を考えている後輩達に魅力を伝えたいと思います。整形外科病棟の雰囲気はとてもよく看護師さん達も優しいです。物が見つからない時、「なにか探してますか?」と声をかけてくれます。こんないいスタッフに恵まれている病棟はなかなかないと思います。とても働きやすいので是非一緒に働きましょう。
簡単ではありますが以上、入局の挨拶とさせていただきます。ご愛読ありがとうございました。
朝比奈 亮太

今年度、山梨大学整形外科に入局しました朝比奈亮太と申します。よろしくお願いいたします。自己紹介をさせていただきますと、私は富士河口湖町大嵐という小さな村に生まれ、中学は河口湖南中学校、高校は富士吉田高校へ通いました。その後、工学部の大学に入学し一年通いましたが退学し、一年山梨で勉強したのち、2011年山梨大学医学部医学科に入学いたしました。大学ではラグビー部に所属し、高校時代あまり部活というものに接する機会がもてなかった自分としては、すごく新鮮な環境でした。部活したり、先輩、後輩、同期とお酒飲んだり、たまにテスト勉強したりという生活を送っていました。しかしながら、部活動を今まで経験していなかったためか怪我をしてしまうことが多く、怪我で思うようなプレーやチームへの貢献が出来ない日々がありました。手術を何度か経験し、反対されたりもしましたが、その中で、 先輩後輩や同期、OBの先生方やコーチ等大事な繋がりができたと感じています。
整形に興味を持ったのは、部活の先輩で整形の先生でもある先生に手術してもらったことがきっかけとなっているかもしれません。怪我をした後は痛くて全然歩けなかったのに手術を受け、一か月後痛みもなく普通に歩けるようになり、6年の部活の最終戦に出場することができました。こんなにもよくなるのだなと感動した記憶があったと同時に、自分も同じく喜びや感動を与えられるような医師がいいなと思ったのがきっかけかもしれません。そうして、大学を卒業し、横浜医療センターで一年、山梨大学で一年臨床研修をしました。横浜でも山梨でも整形外科を回り、学生時代にはわからなかった整形の奥深さや難しさを実感しています。現在は、外勤先で様々な病院へ行かせていただき、外来で先生方にいろいろ教えていただいたり、手術で様々な症例を経験させていただいたりとても充実した毎日を過ごせています。今年は心強い同期が5人入局したので、同期と共に一生懸命頑張り、少しでも早く一人前になれるよう精進していきたいと思っております。まだまだ未熟で皆様に大変ご迷惑をおかけするかとは思いますが、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願いいたします。

小泉 良介

この度、山梨大学整形外科に入局させていただきました、小泉良介と申します。山梨県韮崎市の出身で、地元の小学校、中学校を卒業しました。高校は駿台甲府高校へ進学し、2011年に山梨大学に入学しました。山梨大学卒業後は山梨大学医学部付属病院で2年間、初期研修医として勤務させていただきました。
私の出身である韮崎市は、駅にサッカーボールの銅像があるほど昔からサッカーが盛んな地域で、かつては地元の韮崎高校が全国高等学校サッカー選手権大会に頻回に出場したり、元日本代表の中田英寿選手が所属していたりしました。私自身も小学校のころからサッカーを始めて、中学、高校、大学、そして現在に至るまでずっと続けています。捻挫や骨折など、怪我をすることも多く、たびたび近医の整形外科で治療していただいたこともあってか、私の中の医師のイメージは整形外科のイメージが強かったです。
大学でもサッカーをしており、4年生のときにはキャプテンも務めさせていただきました。部員数も多く、チームをまとめていくのは大変でしたが、私がキャプテンをしていた時、ちょうど顧問の先生が波呂教授に交代となり、波呂教授には学生の頃より大変お世話になりました。
2年間の初期研修では、プログラムの関係で内科ローテーションの割合が高く、一時は内科に心惹かれた時期もありました。しかし、サッカー部の先輩をはじめとする山梨大学の先生にご指導いただき、自身が手術に関与した患者様が元気に退院していく姿をみて整形外科に入局することを決めました。
入局し、整形外科医として働いてみますと、外来や当直、手術、後療法など必要な知識や技術の多さに毎日が精一杯で、自分の至らなさを痛感しています。幸いなことに、今年度は私を含め5人の入局者がおり、同期と力を合わせて頑張っていきたいと思います。まだまだ未熟で、皆様にご迷惑をおかけしてしまうこともあるかと思いますが、今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

河野 紘之

この度、山梨大学整形外科に入局させていただくことになりました、河野紘之と申します。まずは簡単に自己紹介をさせて頂きます。私は子供の頃は玉穂で育ち、中高は駿台甲府、大学は北里大学を卒業して医師となりました。初期研修は地元である山梨に戻り県立中央病院で研修しました。
整形外科についてはもともと学生時代から興味はありました。子供のころから体を動かすことが好きで漠然とスポーツとかかわりのある整形外科に魅力を感じていました。また、実習や研修を通して感じたのは、整形疾患は結果が分かりやすく目にみえるということです。例えば、歩けなかった人が歩けるようになり笑顔になって帰っていくところにとても魅力を感じました。初期研修を行った県立中央病院はドクターヘリを所有し重症外傷の患者さんが多く運び込まれる病院でした。そのため整形外科も緊急手術が多く、特に行楽シーズンには夜中まで手術をしていることも多くありました。そういった過酷な環境でも重症患者さんに向き合い日々診療にあたっている先輩方の姿を間近で見たことは、整形外科医になる一つの決め手となりました。
実際に整形外科になってみると、整形外科の中でも専門が分かれ疾患は多岐にわたり非常に専門性の高い分野だということに気づかされました。勉強に追われ大変に感じる時もありますが、多くの手術を経験できる毎日はとても充実しており、整形外科を選んで良かったと感じています。
今年、自分以外に4 人の同期が入局しました。はじめは整形外科でやっていけるか不安もありましたが、この仲間のおかげで助け合いながらなんとかここまでやってこられています。今後も同期とお互い高めあい山梨の整形外科を盛り上げていけたらと思います。まだまだ医師としても未熟で、決して器用ではないためご迷惑をおかけすることも多いかと思いますが、一日でも早く一人前の整形外科医になるべく日々努力をしていきます。今後ともご指導ご鞭撻の程宜しくお願い致します。

白倉 翔平

今年度、山梨大学整形外科に入局しました白倉翔平です。簡単に自己紹介をします。出身は山梨県で、甲府市・甲斐市で育ちました。その後は山梨学院大学附属中学・高校を経て山梨大学医学部医学科へ入学しました。スポーツは幼稚園から中学まで空手をしていましたが、そんなに強くなれませんでした。大学では6年間軽音楽部に所属していました。高校の時から音楽が好きで、なんとなくドラムを始めて友人とバンドを組んだことがきっかけであったのですが、大学6年間部活動として継続し一生の趣味となった為とても嬉しく感じています。部活動の際は、地域のイベントとして甲府駅前広場でライブをしたり、全学や山梨学院大学や山梨県立大学などと合同で企画をしたり楽器に限らず様々な経験をしました。卒業後もたまに先輩・後輩と音を合わせることもあり今も大事な趣味となっています。運動部ではない為、怪我等でお世話になる機会が多くはなかったことや、部活動の先輩で整形外科医師があまり多くないこともあり、学生時代に整形外科と触れ合う機会が少なかった為、学生の頃はまだ整形外科医になるとは決めていませんでした。
整形外科医を志すようになったのは、研修医の時でした。私は、東京都世田谷区にある市中病院で2 年間研修を行いました。その際の同期が、整形外科志望がやや多かったことがきっかけで、整形外科を選択しローテーションし、その際に多種多様な手術を見て整形外科の面白さに気付きました。また、術後にリハビリテーションを経て機能回復し動けるようになっていく患者さんの姿を見て非常にやり甲斐を感じ、整形外科医になることを決めました。いざ入局してみると、自分の知識・経験の無さに気付く毎日ですが、先輩方が非常に優しく丁寧に指導してくださり日々様々なことを学ばせていただいています。また、同期にも恵まれていて毎日楽しく過ごしているので入局して良かったなと感じています。まだまだ至らない点だらけではありますが、精一杯頑張りますので御指導御鞭撻の程、よろしくお願いします。

古屋 直人
本年度山梨大学整形外科へ入局させて頂きました、古屋直人と申します。山梨県 出身で幼少期は北杜市白州町で過ごしました。その後は甲府市へ越し甲府南高校を 経て山梨大学医学部医学科へと入学しました。元々柔道や相撲などのパワー系スポ ーツの経験があったため、大学スポーツの花形であるラグビー部へと入部し、学生時 代は日々部活動に励む生活をしていました。しかしながら、怪我をしてしまうことが多 く、思うようなプレーが出来ない日々がありました。その中で共に戦ってくれた仲間や、 先輩後輩、OB の先生方やコーチの支えなど、培った人間関係は今でも掛け替えのな いものとなっています。怪我の経験で学生時代から整形外科の先生方にお世話にな る機会が多く、自分にとって最も身近な科であったと思います。

山梨大学卒業後は、山梨県立中央病院で2年間初期研修医として勤務していました。2年間の研修の中でも特に印象的だったのは、整形外科と救命救急センターでの研修です。県立中央病院は山梨県内唯一の救命救急センターのある病院であり、多くの重症外傷患者さんが日々搬送されてきました。交通外傷の現場へドクターカーやドクターヘリで行き、現場で患者さんに接触するところから始まり、病院搬送後の救急処置、その後の整形外科的手術まで、受傷直後から治療へ至るまでの流れを総合的に勉強させて頂くとても貴重な機会になりました。
整形外科への入局を決めた理由にはいくつかあります。整形外科は分野が多岐にわたり、将来的に専門を修める際にも選択肢が多く魅力的です。現時点ではまだ決めていませんが、大学病院や市中病院で様々な経験をさせて頂き検討していきたいと思っています。また、部活動も含め学生時代、研修医時代からお世話になった先生方が多く、医局の雰囲気として働きやすかった点もあります。今後は若手からも山梨大学、そして山梨県全体の整形外科を盛り上げていける力になっていきたいと思っています。今後ともご指導の程よろしくお願い申し上げます。

重橋 孝洋
この度、山梨大学整形外科に入局しました、重橋孝洋と申します。自己紹介させていただきます。私は、出身は長崎県長崎市出身で、地元の小学校、中学校で育ちました。幼稚園の時から小学校6年生まで水泳をやっていました。通っていたスイミングスクールは水曜日以外は、毎日練習があり、4月の末から10月末頃まで、近くの中学校の外のプールで泳いでいたので、もともとガリガリだった自分としては、とても寒くて辛かった記憶しかないです。中学校からは水泳をやめ、テニス部に入り、中学生活を送りました。今となっては、小さい頃に水泳をやっていたおかげで丈夫な体になったのかなと思っています。
高校は地元の長崎北高校に通っていました。通っていた高校は両道顕揚という校訓があり、勉強と部活両方に力を入れている高校でした。その後、都内の大学へ通い、東京という物や人で溢れ、食事も全く味付けも異なりカルチャーショックでした。駅前のそば屋でそばを初めて食べた時、正油でうすめたようなスープは正直おいしくないなと思ってしまいました。その後再受験し、山梨大学へ入学しました。大学では、バドミントンをやっていました。初期研修は静岡県の焼津市で研修しました。海のある県は食べ物の好みも合い、人もオープンな人が多くて居心地はとても良かったです。
いろいろな県に住んでみて、方言の違いに驚くことがありました。長崎の方言としては、棚に本を直す(標準語:戻す、しまう)、服装がずんだれ(標準語:だらしない)、こちょわるい(標準語:くすぐったい)、ちょんぎる(標準語:切る)、ちんちん電車(標準語:路面電車)、きしゃ(標準語:JRのこと、でんしゃ:長崎では路面電車と区別するため)、ばり(標準語:とても)、どげんすっと、どげんすれば~(標準語:どうする?、どうすれば?)などあります。もし長崎にでかける時がありましたら、是非とも使ってみてください。

大学時代バド部同期達との写真です
勝 麻里那
今年度、山梨大学整形外科学講座に入局いたしました勝麻里那です。生まれも育ちも山梨県。最近バラエティー番組で「醜い方言である」と脚光を浴びている甲州弁を「どこがおかしいの?」と使い続けて27年です。そんな甲州弁の中で、私が何か挑戦するときに頭にパッと浮かんでくる言葉があります。それが「おめっさらやらざあ!(=思いっきりやろう!)」です。中学生から始めた陸上競技で山梨県強化選手に選ばれた際、強化練習会・強化合宿という吐くまで練習させられる・・・もとい、極限まで自身を追い込むことができるイベントの際に配布されていた県陸上通信の題名です。
中学三年生の春に脛骨疲労骨折のため、練習を休まなくてはならない時期がありました。正直な話、辛い練習を休めてもうけものだと最初は思っていました。しかし復帰後に出場権を獲得した関東大会では、周りの強さに圧倒されて納得のいく結果が残せませんでした。中学生のスポーツは「実力3割・気持ち7割」と言われています。自分を限界まで追い込めなかった記憶が少しでもあると、最高のパフォーマンスの妨げになるということを体感しました。

それからは自分のやりたいことは「おめっさら」挑戦してみようと心がけてきました。そして、その気持ちが整形外科への入局を迷う私の背中を押してくれました。もともと自分がスポーツをやっていたり、大学からラグビー部のマネージャーを始めたりと、整形外科学に触れる機会が多く興味を持っていました。しかし正直な話、こんなに難しいことをこんなにたくさん勉強しなくてはならないのかと思いました。学生時代に両側の寛骨臼回転骨切り術のため入院した際には、主治医が朝6時から包交車をガラガラ押しながら回診にきて、夜中まで手術をしている姿をみて、自分には到底無理だと思っていました。しかし研修医になって整形外科の先生方と仕事をしてみると、無理とかつらいとかよりも、とても楽しいのです。いろんな疾患を経験することができ、手術も多岐にわたっていて、やりがいのある仕事だと思いました。
自分の興味を持ったことを、大変そうだとか辛そうだとかであきらめてよいわけがない。自分のやりたいと思ったことは心置きなくやってみよう。そう決心して入局しました。覚えが悪く、器用さも持ち合わせていないので、先輩方に迷惑をかけることが多々あると思います。それでもできることを一生懸命取り組んでいきます。これからもご指導・ご鞭撻のほどよろしくお願いします。

辰野 力人
今年度、整形外科に入局しました辰野力人と申します。この紹介文は初めての2次救急当直の日に書いておりますが、先ほども多くの先生方にご迷惑をお掛けしながら救急外来でてんやわんやしてきたばかりのところです。
簡単にですが自己紹介をさせて頂きます。出身は大阪府で4歳のときに長野県茅野市に引っ越してきました。地元の中学校を卒業後、高校は北杜市立甲陵高校、2008年度に山梨大学に入学しました。卒後は大学で2年間研修を行いました。
中学校では陸上で短距離を、高校では弓道をしていました。大学時代には楽器は初心者でしたが、オーケストラ部に所属し、クラリネットを演奏していました。楽器の練習は最初のうちは慣れず大変でしたが、呼吸が合ったときの心地よさや仲間と1つの曲を完成させたときは達成感や喜びがありました。オーケストラ部での出来事は大学時代の思い出の多くの部分を占めています。また最近では何か趣味をと思いましてカメラを始めてみました。

私が整形外科を志した経緯について少し書かせて頂きます。大学に入学した当時は漠然と自分は内科に進むだろうと思っていましたが5年生の実習で整形外科を回ったときに考えが変わりました。老若男女問わず患者さんが多いため、ニーズが高いというところに整形外科の必要性を実感し、患者さんが明るいという点にも惹かれました。診断から治療、手術をしたらその後のフォローと1人で責任を持って行わなければなりませんが、その分患者さんとの信頼関係は強く持てるという点も魅力の1つだと思っています。よく周囲からは内科っぽいねと言われますが、これから整形外科医としてバリバリやっていけたらと思っています。
現在は右も左も分からず、周囲には迷惑を掛けながら仕事に励んでいます。早く一人前になれるように日々の診療を一つ一つ大切にしていきたいと思っています。至らない点が多くあると思いますが、皆様には今後ともご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願い致します。
芦沢 知行
今年度、整形外科学講座に入局させていただきました芦沢知行と申します。山梨大学出身で、大学卒業後は初期研修を山梨大学医学部附属病院にて行わせていただきました。私の生まれは東京都町田市ですが、両親の実家は山梨県で幼少期より年に2、3回は山梨に遊びに来ておりました。そういったこともあり、山梨には縁も深く、山梨大学を受験した要因の一つでもありました。
小学生の頃よりサッカーをしておりまして、中学、高校、大学、そして現在もずっと続けております。サッカーをしていると怪我も多く、整形外科を受診することが多く、整形外科というのは私にとって身近な存在でした。(サッカー選手としてはよくないことなのかもしれませんが…)その中で高校生の時、手を骨折し手術を行ない、しばらく整形外科にお世話になったことがあります。その怪我もあり、怪我したスポーツ選手を救ってあげられるような、スポーツに関わる仕事がしたいと思うようになり、整形外科医を目指すようになりました。

大学では医学部サッカー部の他、全学のサッカー部、社会人サッカーチームでもプレーし、また県内で小中学生へサッカーの指導を続けてまいりました。その影響か、山梨県内でサッカーに関わっている方に出会うと、ほぼ共通の知人がいるようなそんな状態であります。そういった県内でのサッカーを通じた多くの方との関わりも、山梨に残ってスポーツ、特にサッカーに関わった整形外科として働きたいと思った理由でもあります。
いざ整形外科医として働きだすと、さまざまな分野があり、スポーツだけでなく、それぞれのおもしろさがあると感じております。整形外科の楽しさに今一度興奮している次第であります。そして、まだわからないことだらけで、多くの勉強が必要であることも痛感しております。すでに多くの先生方にご指導いただき、またご迷惑をかけておりますが、今後とも先生方の御指導のもと、精進していきたいと思います。未熟な私ですがよろしくお願いいたします。
小田 洸太郎
今年度、整形外科学講座に入局した小田洸太郎です。早いもので、入局して9ヶ月が経過いたしました。日々、諸先輩方の手厚い指導を受けつつ、なんとか仕事をこなしております。タイトルは、松岡修造氏の言葉ですが、私自身、慣れない外来や救急対応では、悩むことばかりで、周りの方々にご迷惑をおかけしています。ただ、悩んだ分、記憶に残り、自分の知識として蓄積されていくことを実感しております。周囲の方にはご迷惑をおかけしますが、今後もたくさん悩みながら、経験を積んでいきたいと考えております。
ここで、少し自己紹介をさせていただきます。
私は山梨で生まれ育ち、甲府東高校、山梨大学を卒業し、静岡県の焼津市立総合病院で2年間初期研修をした後、当整形外科学講座に入局致しました。

当講座の先生方を見ても、ほとんどがスポーツ経験者であり、特に、サッカー・ラグビー出身者が多いように感じます。私自身は一番思い入れがあるのはテニスであり、昨今の錦織フィーバーに続く、テニス熱の上昇に喜んでおりますが、当講座ではテニスの話題を耳にすることは皆無です。この寂しい状況を打破するために、テニス部の後輩を勧誘して、当講座内でのテニスの地位を上げることを、これから数年間の目標として頑張っていきたいです。

最後になりますが、まだまだ未熟者ながら、2015年8月に結婚いたしました。家族・奥様に一途な先輩方を見習い、より一層責任感を持って、仕事に励んでいこうと思います。これからも御指導・御鞭撻の程、宜しくお願いいたします。
藤巻 太郎
はじめまして。今年度、山梨大学整形外科学講座に入局しました藤巻太郎と申します。よろしくお願いいたします。私は生まれも育ちも山梨県甲府市。何度も山梨を出たいと思いましたが、現在まで山梨から出たことがありません。やはり居心地がいいのでしょうか。ここまで来た以上、県外の憧れは持ちつつもきっとこのまま山梨で働き続けるのではないかと心の中では思っています。整形外科を考えたのは、小さい頃からスポーツをするのも観戦するのも好きであり将来スポーツに関わった仕事に就きたいと考えていたことが元々ありました。そこが発展しスポーツ整形というものに憧れを持つようになったことがきっかけだったのかもしれません。
実際、大学で授業を受けてみて整形外科が自分の考えていたものと違っており、戸惑いがありました。興味こそはあったもののややモチベーションが下がっていた中で学生実習を回りましたが、スポーツだけでない整形を目にしたこと、そして手術や外来を見学する中で面白さを感じました。そして指導していただいた先生方の元で働きたいとも思うようにもなりました。

大学卒業後、山梨県内の市中病院で2年間初期研修医として働きました。そこの整形外科は他大学の関連病院ということもあり、また違った刺激を受けそちらに心が揺らぐこともありました。ただ、山梨大学の先生方に再度ご指導していただきたかったのはもちろんありましたし、田中・小田という心強い同期が入局を決定したということが気持ちを強くし、最終的に山梨大学整形外科学講座への入局を決めるに至りました。私は器用ではないですし、用量も悪く、また物覚えが悪いため周りの人に迷惑をかけている毎日ですが、先生方はやさしく丁寧に指導してくださり、コメディカルの方々も気さくでとても働きやすい環境で充実した日々を送っています。少しでも一人前になれるよう精進していきたいと思っております。声をかけていただく際は、太郎でも太郎ちゃんでもいいので気楽に下の名前で呼んでいただければと思います。まだまだ未熟で皆様に大変ご迷惑をおかけするかとは思いますが、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願いいたします。

田中 伸樹
皆様には常日頃よりお世話になっておりますが、改めて紹介文として書かせて頂きます。今年度、山梨大学整形外科学講座に入局させていただきました田中伸樹(のぶき)です。
端的に生い立ちを紹介させていただくと、1987年広島県生まれ、埼玉県浦和市育ち、高校は東京都私立城北高校へ通い、一浪ののち2007年山梨大学医学部に入学いたしました。スポーツ歴としましては、高校にてアメリカンフットボール、大学にてラグビーをしておりました。ラグビー部の大先輩が「俺が入局して以来、ラグビー部の後輩が入局しない」と冗談交じりに度々発言されていたことがボディーブローのように効いていたのか、はたまた山梨大学整形外科ワークショップ後のお酒の席にて教授含めた、某大先生方と入団会見顔負けな、固い握手を激写されたことが決定打になったのかは分かりませんが、山梨大学医学部附属病院での初期研修を終え、無事に山梨大学整形外科学講座に入局の運びとなりました。流れに任せて入局したような書き方になってしまいましたが(そうかもしれませんが)、整形外科になりたいと自主的に思ったのは、初期研修中に整形外科の先生方の診察を拝見した時でした。まだ駆け出しの研修医でしたので患者の圧痛部位がどこで・・・などとざっくりとした所見しかとれていませんでしたが、当時の整形外科の先生は解剖学的知識に基づいた圧痛部位の聴取、ストレステストを行っておりました。今まで自分もアメリカンフットボール、ラグビー受傷の際に同様の診察を受けていたことが鮮明に思い出され、自分もこういった診察をしたいと憧れました。

ただ、入局してみますと、解剖学的知識、疾患背景、手術手技、後療法・・・知れば知るほど、さらに道のりの遠さがわかってきて、足すくみしそうな日々を送っております。同期が一緒に苦しんでいる姿を横目に少し安心しながら、気を引き締めて一歩一歩進んでいきたいと思っております。まだまだ未熟者ではありますので、末永くご指導頂きますよう、よろしくお願い申し上げます。
岩間 達
今年から山梨大学整形外科に入局しました岩間達(いわまとおる)です。
まずは簡単な紹介から書かせて頂きます。生まれも育ちも東京都新宿、筑波大学付属高校、山梨大学を卒業しました。部活動はオーケストラ部(ファゴット、ホルン)、鉄道研究会、テニス部をしていました。また、大学時代に友人宅の炬燵で酒を飲みながらテレビでやっていたマラソンに対し、うちらでも3時間くらいで走れるのではないか、という無責任な発言からはじめたマラソンも、そんなに速くは走れませんが細々と続けております。最近はやはり学生の頃始めた沢歩きと洞窟、廃線跡歩きにはまっています。最初は普通の山歩きをしていたのですが、それらを知ってからは登山道よりもより人のいかないところばかりを散策しています。山梨県には多くの山や沢があり、また山中には森林軌道跡や鉱山跡が多くあり、探索したいところが沢山あるのですが、簡単には行けない(しばしば山中で一・二泊しなければならないところがあり)なかなか時間が取れないのが残念です。洞窟は富士山の麓に火山洞窟が沢山あり(ただし洞窟は入り口が足元にあるので探すのがとても難しいのです)、入って進んでみないと全貌がわからない、それぞれに立体的であったり長かったり氷が張っていたりと特徴があるところがおもしろいのです。

さて、整形外科に興味をもったのは 5 年生の臨床実習のときで、迫力のある手術と人工物を入れるというところに格好良さを感じたのでした。その後いろいろな科を回り各々に魅力的でしたが、一番面白いと感じ、整形外科医としてやっていこうと決めました。入ってみて半年と少し経ちますが、整形外科の幅の広さ、奥の深さに四苦八苦しつつも理解していくにつれさらに魅力を感じております。なかなか勉強が追いつかない日々ですがこれからも精進してまいります。ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします。

