新入局員の声

古屋 直人

本年度山梨大学整形外科へ入局させて頂きました、古屋直人と申します。山梨県 出身で幼少期は北杜市白州町で過ごしました。その後は甲府市へ越し甲府南高校を 経て山梨大学医学部医学科へと入学しました。元々柔道や相撲などのパワー系スポ ーツの経験があったため、大学スポーツの花形であるラグビー部へと入部し、学生時 代は日々部活動に励む生活をしていました。しかしながら、怪我をしてしまうことが多 く、思うようなプレーが出来ない日々がありました。その中で共に戦ってくれた仲間や、 先輩後輩、OB の先生方やコーチの支えなど、培った人間関係は今でも掛け替えのな いものとなっています。怪我の経験で学生時代から整形外科の先生方にお世話にな る機会が多く、自分にとって最も身近な科であったと思います。

古屋	直人

山梨大学卒業後は、山梨県立中央病院で2年間初期研修医として勤務していました。2年間の研修の中でも特に印象的だったのは、整形外科と救命救急センターでの研修です。県立中央病院は山梨県内唯一の救命救急センターのある病院であり、多くの重症外傷患者さんが日々搬送されてきました。交通外傷の現場へドクターカーやドクターヘリで行き、現場で患者さんに接触するところから始まり、病院搬送後の救急処置、その後の整形外科的手術まで、受傷直後から治療へ至るまでの流れを総合的に勉強させて頂くとても貴重な機会になりました。

整形外科への入局を決めた理由にはいくつかあります。整形外科は分野が多岐にわたり、将来的に専門を修める際にも選択肢が多く魅力的です。現時点ではまだ決めていませんが、大学病院や市中病院で様々な経験をさせて頂き検討していきたいと思っています。また、部活動も含め学生時代、研修医時代からお世話になった先生方が多く、医局の雰囲気として働きやすかった点もあります。今後は若手からも山梨大学、そして山梨県全体の整形外科を盛り上げていける力になっていきたいと思っています。今後ともご指導の程よろしくお願い申し上げます。

古屋	直人

重橋 孝洋

この度、山梨大学整形外科に入局しました、重橋孝洋と申します。自己紹介させていただきます。私は、出身は長崎県長崎市出身で、地元の小学校、中学校で育ちました。幼稚園の時から小学校6年生まで水泳をやっていました。通っていたスイミングスクールは水曜日以外は、毎日練習があり、4月の末から10月末頃まで、近くの中学校の外のプールで泳いでいたので、もともとガリガリだった自分としては、とても寒くて辛かった記憶しかないです。中学校からは水泳をやめ、テニス部に入り、中学生活を送りました。今となっては、小さい頃に水泳をやっていたおかげで丈夫な体になったのかなと思っています。

高校は地元の長崎北高校に通っていました。通っていた高校は両道顕揚という校訓があり、勉強と部活両方に力を入れている高校でした。その後、都内の大学へ通い、東京という物や人で溢れ、食事も全く味付けも異なりカルチャーショックでした。駅前のそば屋でそばを初めて食べた時、正油でうすめたようなスープは正直おいしくないなと思ってしまいました。その後再受験し、山梨大学へ入学しました。大学では、バドミントンをやっていました。初期研修は静岡県の焼津市で研修しました。海のある県は食べ物の好みも合い、人もオープンな人が多くて居心地はとても良かったです。

いろいろな県に住んでみて、方言の違いに驚くことがありました。長崎の方言としては、棚に本を直す(標準語:戻す、しまう)、服装がずんだれ(標準語:だらしない)、こちょわるい(標準語:くすぐったい)、ちょんぎる(標準語:切る)、ちんちん電車(標準語:路面電車)、きしゃ(標準語:JRのこと、でんしゃ:長崎では路面電車と区別するため)、ばり(標準語:とても)、どげんすっと、どげんすれば~(標準語:どうする?、どうすれば?)などあります。もし長崎にでかける時がありましたら、是非とも使ってみてください。

重橋孝洋

大学時代バド部同期達との写真です

勝 麻里那

今年度、山梨大学整形外科学講座に入局いたしました勝麻里那です。生まれも育ちも山梨県。最近バラエティー番組で「醜い方言である」と脚光を浴びている甲州弁を「どこがおかしいの?」と使い続けて27年です。そんな甲州弁の中で、私が何か挑戦するときに頭にパッと浮かんでくる言葉があります。それが「おめっさらやらざあ!(=思いっきりやろう!)」です。中学生から始めた陸上競技で山梨県強化選手に選ばれた際、強化練習会・強化合宿という吐くまで練習させられる・・・もとい、極限まで自身を追い込むことができるイベントの際に配布されていた県陸上通信の題名です。

中学三年生の春に脛骨疲労骨折のため、練習を休まなくてはならない時期がありました。正直な話、辛い練習を休めてもうけものだと最初は思っていました。しかし復帰後に出場権を獲得した関東大会では、周りの強さに圧倒されて納得のいく結果が残せませんでした。中学生のスポーツは「実力3割・気持ち7割」と言われています。自分を限界まで追い込めなかった記憶が少しでもあると、最高のパフォーマンスの妨げになるということを体感しました。

それからは自分のやりたいことは「おめっさら」挑戦してみようと心がけてきました。そして、その気持ちが整形外科への入局を迷う私の背中を押してくれました。もともと自分がスポーツをやっていたり、大学からラグビー部のマネージャーを始めたりと、整形外科学に触れる機会が多く興味を持っていました。しかし正直な話、こんなに難しいことをこんなにたくさん勉強しなくてはならないのかと思いました。学生時代に両側の寛骨臼回転骨切り術のため入院した際には、主治医が朝6時から包交車をガラガラ押しながら回診にきて、夜中まで手術をしている姿をみて、自分には到底無理だと思っていました。しかし研修医になって整形外科の先生方と仕事をしてみると、無理とかつらいとかよりも、とても楽しいのです。いろんな疾患を経験することができ、手術も多岐にわたっていて、やりがいのある仕事だと思いました。

自分の興味を持ったことを、大変そうだとか辛そうだとかであきらめてよいわけがない。自分のやりたいと思ったことは心置きなくやってみよう。そう決心して入局しました。覚えが悪く、器用さも持ち合わせていないので、先輩方に迷惑をかけることが多々あると思います。それでもできることを一生懸命取り組んでいきます。これからもご指導・ご鞭撻のほどよろしくお願いします。

辰野 力人

今年度、整形外科に入局しました辰野力人と申します。この紹介文は初めての2次救急当直の日に書いておりますが、先ほども多くの先生方にご迷惑をお掛けしながら救急外来でてんやわんやしてきたばかりのところです。

簡単にですが自己紹介をさせて頂きます。出身は大阪府で4歳のときに長野県茅野市に引っ越してきました。地元の中学校を卒業後、高校は北杜市立甲陵高校、2008年度に山梨大学に入学しました。卒後は大学で2年間研修を行いました。

中学校では陸上で短距離を、高校では弓道をしていました。大学時代には楽器は初心者でしたが、オーケストラ部に所属し、クラリネットを演奏していました。楽器の練習は最初のうちは慣れず大変でしたが、呼吸が合ったときの心地よさや仲間と1つの曲を完成させたときは達成感や喜びがありました。オーケストラ部での出来事は大学時代の思い出の多くの部分を占めています。また最近では何か趣味をと思いましてカメラを始めてみました。

私が整形外科を志した経緯について少し書かせて頂きます。大学に入学した当時は漠然と自分は内科に進むだろうと思っていましたが5年生の実習で整形外科を回ったときに考えが変わりました。老若男女問わず患者さんが多いため、ニーズが高いというところに整形外科の必要性を実感し、患者さんが明るいという点にも惹かれました。診断から治療、手術をしたらその後のフォローと1人で責任を持って行わなければなりませんが、その分患者さんとの信頼関係は強く持てるという点も魅力の1つだと思っています。よく周囲からは内科っぽいねと言われますが、これから整形外科医としてバリバリやっていけたらと思っています。

現在は右も左も分からず、周囲には迷惑を掛けながら仕事に励んでいます。早く一人前になれるように日々の診療を一つ一つ大切にしていきたいと思っています。至らない点が多くあると思いますが、皆様には今後ともご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願い致します。

芦沢 知行

今年度、整形外科学講座に入局させていただきました芦沢知行と申します。山梨大学出身で、大学卒業後は初期研修を山梨大学医学部附属病院にて行わせていただきました。私の生まれは東京都町田市ですが、両親の実家は山梨県で幼少期より年に2、3回は山梨に遊びに来ておりました。そういったこともあり、山梨には縁も深く、山梨大学を受験した要因の一つでもありました。

小学生の頃よりサッカーをしておりまして、中学、高校、大学、そして現在もずっと続けております。サッカーをしていると怪我も多く、整形外科を受診することが多く、整形外科というのは私にとって身近な存在でした。(サッカー選手としてはよくないことなのかもしれませんが…)その中で高校生の時、手を骨折し手術を行ない、しばらく整形外科にお世話になったことがあります。その怪我もあり、怪我したスポーツ選手を救ってあげられるような、スポーツに関わる仕事がしたいと思うようになり、整形外科医を目指すようになりました。

大学では医学部サッカー部の他、全学のサッカー部、社会人サッカーチームでもプレーし、また県内で小中学生へサッカーの指導を続けてまいりました。その影響か、山梨県内でサッカーに関わっている方に出会うと、ほぼ共通の知人がいるようなそんな状態であります。そういった県内でのサッカーを通じた多くの方との関わりも、山梨に残ってスポーツ、特にサッカーに関わった整形外科として働きたいと思った理由でもあります。

いざ整形外科医として働きだすと、さまざまな分野があり、スポーツだけでなく、それぞれのおもしろさがあると感じております。整形外科の楽しさに今一度興奮している次第であります。そして、まだわからないことだらけで、多くの勉強が必要であることも痛感しております。すでに多くの先生方にご指導いただき、またご迷惑をかけておりますが、今後とも先生方の御指導のもと、精進していきたいと思います。未熟な私ですがよろしくお願いいたします。

小田 洸太郎

今年度、整形外科学講座に入局した小田洸太郎です。早いもので、入局して9ヶ月が経過いたしました。日々、諸先輩方の手厚い指導を受けつつ、なんとか仕事をこなしております。タイトルは、松岡修造氏の言葉ですが、私自身、慣れない外来や救急対応では、悩むことばかりで、周りの方々にご迷惑をおかけしています。ただ、悩んだ分、記憶に残り、自分の知識として蓄積されていくことを実感しております。周囲の方にはご迷惑をおかけしますが、今後もたくさん悩みながら、経験を積んでいきたいと考えております。

ここで、少し自己紹介をさせていただきます。
私は山梨で生まれ育ち、甲府東高校、山梨大学を卒業し、静岡県の焼津市立総合病院で2年間初期研修をした後、当整形外科学講座に入局致しました。

当講座の先生方を見ても、ほとんどがスポーツ経験者であり、特に、サッカー・ラグビー出身者が多いように感じます。私自身は一番思い入れがあるのはテニスであり、昨今の錦織フィーバーに続く、テニス熱の上昇に喜んでおりますが、当講座ではテニスの話題を耳にすることは皆無です。この寂しい状況を打破するために、テニス部の後輩を勧誘して、当講座内でのテニスの地位を上げることを、これから数年間の目標として頑張っていきたいです。

最後になりますが、まだまだ未熟者ながら、2015年8月に結婚いたしました。家族・奥様に一途な先輩方を見習い、より一層責任感を持って、仕事に励んでいこうと思います。これからも御指導・御鞭撻の程、宜しくお願いいたします。

藤巻 太郎

はじめまして。今年度、山梨大学整形外科学講座に入局しました藤巻太郎と申します。よろしくお願いいたします。私は生まれも育ちも山梨県甲府市。何度も山梨を出たいと思いましたが、現在まで山梨から出たことがありません。やはり居心地がいいのでしょうか。ここまで来た以上、県外の憧れは持ちつつもきっとこのまま山梨で働き続けるのではないかと心の中では思っています。整形外科を考えたのは、小さい頃からスポーツをするのも観戦するのも好きであり将来スポーツに関わった仕事に就きたいと考えていたことが元々ありました。そこが発展しスポーツ整形というものに憧れを持つようになったことがきっかけだったのかもしれません。

実際、大学で授業を受けてみて整形外科が自分の考えていたものと違っており、戸惑いがありました。興味こそはあったもののややモチベーションが下がっていた中で学生実習を回りましたが、スポーツだけでない整形を目にしたこと、そして手術や外来を見学する中で面白さを感じました。そして指導していただいた先生方の元で働きたいとも思うようにもなりました。

大学卒業後、山梨県内の市中病院で2年間初期研修医として働きました。そこの整形外科は他大学の関連病院ということもあり、また違った刺激を受けそちらに心が揺らぐこともありました。ただ、山梨大学の先生方に再度ご指導していただきたかったのはもちろんありましたし、田中・小田という心強い同期が入局を決定したということが気持ちを強くし、最終的に山梨大学整形外科学講座への入局を決めるに至りました。私は器用ではないですし、用量も悪く、また物覚えが悪いため周りの人に迷惑をかけている毎日ですが、先生方はやさしく丁寧に指導してくださり、コメディカルの方々も気さくでとても働きやすい環境で充実した日々を送っています。少しでも一人前になれるよう精進していきたいと思っております。声をかけていただく際は、太郎でも太郎ちゃんでもいいので気楽に下の名前で呼んでいただければと思います。まだまだ未熟で皆様に大変ご迷惑をおかけするかとは思いますが、ご指導ご鞭撻の程よろしくお願いいたします。

田中 伸樹

皆様には常日頃よりお世話になっておりますが、改めて紹介文として書かせて頂きます。今年度、山梨大学整形外科学講座に入局させていただきました田中伸樹(のぶき)です。

端的に生い立ちを紹介させていただくと、1987年広島県生まれ、埼玉県浦和市育ち、高校は東京都私立城北高校へ通い、一浪ののち2007年山梨大学医学部に入学いたしました。スポーツ歴としましては、高校にてアメリカンフットボール、大学にてラグビーをしておりました。ラグビー部の大先輩が「俺が入局して以来、ラグビー部の後輩が入局しない」と冗談交じりに度々発言されていたことがボディーブローのように効いていたのか、はたまた山梨大学整形外科ワークショップ後のお酒の席にて教授含めた、某大先生方と入団会見顔負けな、固い握手を激写されたことが決定打になったのかは分かりませんが、山梨大学医学部附属病院での初期研修を終え、無事に山梨大学整形外科学講座に入局の運びとなりました。流れに任せて入局したような書き方になってしまいましたが(そうかもしれませんが)、整形外科になりたいと自主的に思ったのは、初期研修中に整形外科の先生方の診察を拝見した時でした。まだ駆け出しの研修医でしたので患者の圧痛部位がどこで・・・などとざっくりとした所見しかとれていませんでしたが、当時の整形外科の先生は解剖学的知識に基づいた圧痛部位の聴取、ストレステストを行っておりました。今まで自分もアメリカンフットボール、ラグビー受傷の際に同様の診察を受けていたことが鮮明に思い出され、自分もこういった診察をしたいと憧れました。

ただ、入局してみますと、解剖学的知識、疾患背景、手術手技、後療法・・・知れば知るほど、さらに道のりの遠さがわかってきて、足すくみしそうな日々を送っております。同期が一緒に苦しんでいる姿を横目に少し安心しながら、気を引き締めて一歩一歩進んでいきたいと思っております。まだまだ未熟者ではありますので、末永くご指導頂きますよう、よろしくお願い申し上げます。

岩間 達

今年から山梨大学整形外科に入局しました岩間達(いわまとおる)です。

まずは簡単な紹介から書かせて頂きます。生まれも育ちも東京都新宿、筑波大学付属高校、山梨大学を卒業しました。部活動はオーケストラ部(ファゴット、ホルン)、鉄道研究会、テニス部をしていました。また、大学時代に友人宅の炬燵で酒を飲みながらテレビでやっていたマラソンに対し、うちらでも3時間くらいで走れるのではないか、という無責任な発言からはじめたマラソンも、そんなに速くは走れませんが細々と続けております。最近はやはり学生の頃始めた沢歩きと洞窟、廃線跡歩きにはまっています。最初は普通の山歩きをしていたのですが、それらを知ってからは登山道よりもより人のいかないところばかりを散策しています。山梨県には多くの山や沢があり、また山中には森林軌道跡や鉱山跡が多くあり、探索したいところが沢山あるのですが、簡単には行けない(しばしば山中で一・二泊しなければならないところがあり)なかなか時間が取れないのが残念です。洞窟は富士山の麓に火山洞窟が沢山あり(ただし洞窟は入り口が足元にあるので探すのがとても難しいのです)、入って進んでみないと全貌がわからない、それぞれに立体的であったり長かったり氷が張っていたりと特徴があるところがおもしろいのです。

さて、整形外科に興味をもったのは 5 年生の臨床実習のときで、迫力のある手術と人工物を入れるというところに格好良さを感じたのでした。その後いろいろな科を回り各々に魅力的でしたが、一番面白いと感じ、整形外科医としてやっていこうと決めました。入ってみて半年と少し経ちますが、整形外科の幅の広さ、奥の深さに四苦八苦しつつも理解していくにつれさらに魅力を感じております。なかなか勉強が追いつかない日々ですがこれからも精進してまいります。ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします。