OBだより

さとう整形外科

院長 佐藤 信隆

さとう整形外科

ご無沙汰しております。

令和2年1月14日、さとう整形外科を開院して、早くも1年近くになりました。

 はじめに、何とか無事、運営出来ているのもひとえに、同門の先生方、開院に際しご尽力くださいました関係者の皆様のおかげと、心より感謝申し上げます。

 さて、開院時のスタッフは11人で立ち上げました。スタッフは元々、大学病院、富士川病院、国立甲府病院でともに働いたことのある人と新規に募集して加わった人の集まりでした。私とは面識がある人がほとんどでしたが、スタッフ間は初めて会う人たちで、上手く機能してくれるのか心配の限りでした。12月下旬から開院に向けて、電子カルテの操作などのハード面の学習、患者さん運用のシミュレーションを行ってきました。実際、1月14日に開院した際には上手く運用できず最大で3時間以上の待ち時間が発生してしまいました。慣れてきて1日120人を超えたら飲み会を行うことをみんなで目標にしていました。

 2月になると、コロナウイルス騒ぎが始まり、当院でも昼食はなるべくバラバラでスタッフ間の会食の禁止、ユニフォームでの外出禁止など制限せざるを得ない状況になり、3月になりいよいよ、山梨でも新型コロナウイルスが発生し始めると飲み会どころではなくなってしまいました。

 4月、11月は新型コロナウイルスの影響とみられる患者数の減少が見られました。当初、患者数が減ったり増えたりすることに一喜一憂することがありましたが、他人に見せることのできる、自分なりの医療提供を行うことを目標とし自己満足に浸ることで、気にならない様になってきました。12月までの1年間で当院や国立甲府病院などを合わせると手術件数が300件を超える見込みとなりました。待機患者数が多くなってきており今後は何とか待機期間を短く出来るように対策を講じています。1月には新たなスタッフも増え、今後も1人でも多くの患者さんに納得いただける医療を提供できるように努めてゆきたいと思っています。

 また、新型コロナウイルス感染症は終息の気配を見せず、不安な日々が続きますが、来年こそはスタッフ一同で初の飲み会を行える日が来ることを楽しみにしています。

 まだまだ、発展途上ではありますが、少しでも多くの患者さんを笑顔にして差し上げられるようスタッフ一同、努力してまいりますので今後とも何卒よろしくお願いいたします。

 追記、今も天気の良い日はなるべく自転車通勤しています。先日、15年近く乗っていた自転車を買い換えました。吉田のうどんや諏訪のそばを食べに行けるようになることを目標に自転車に乗っています。

さとう整形外科

ばんどう整形外科クリニック

院長 坂東 和弘

山梨大学整形外科学教室の皆様にはいっそうご活躍のこととお慶び申し上げます。このたびこのような寄稿の機会を頂くことになり大変光栄に存じます。

私は平成4年に入局し、平成18年3月まで勤務し、同年4月甲府市古上条町に現在のクリニックを開業しました。今年で開業して12年なりますが、まさに時の流れは早いもので、もうそんなになるのかということを実感しております。現在スタッフ9名とともに日々診療に励んでおりますが、患者様からたまにここにこんな病院があるとは知らなかったということを聞くこともあり、まだまだこの地域に名前を覚えてもらえるように一頑張り二頑張りしなくてはいけないなと思っている次第です。

ばんどう整形外科クリニック

私は山梨大学整形外科に在任中、小児整形外科領域を担当しておりました。昨今の少子高齢化の波の中、整形外科においても子供を診る機会は減りつつあると思いますが、診療所のある甲府市大里地区は県内でも人口が増えている数少ない地域であり、また近隣の小児科医の先生方からも時々患者様を紹介して頂くせいか、小児の患者は思ったより多く来院されます。もちろん患者様は小児だけでなく各年代の方が受診されますが、一般の整形外科よりかなり年齢層の幅があると思われます。今後これを強みとして当院のモットーである“やさしい医療”“親しまれる医療”“信頼される医療”を念頭に入れ、地域に根ざした医療を目指していきたいと思っています。

最近の傾向として、以前よりも増して独居の高齢の患者様が増えており、診療していく中で疾患の診断、治療は当然重要なことですが、家族問題が見え隠れしていることも多く、まさに現代の世相を反映していることを実感しております。従って治療以外のことでいろいろ悩みを聞くことも多く診療時間にメリハリをつけながら耳を傾けているつもりです。また認知症が絡むこともしばしばあり、入院が必要なケースではなかなか入院先の病院が決まらずそのマネージメントで結構時間を取られてしまうこともあります。いろいろな話題に触れだすと切りがありませんが、患者というより人生の先輩として接してみるとその話の中にもやがて自分たちが経験することになるであろうことも多々含まれており考えさせられることも事実です。他にはスポーツ障害や外傷で小中高生もよく来院しますが、スポーツをしている子供たちに対する指導はかなり難しいということも実感しております。競技の特殊性もありますが、どこまでやらせて、どこで休ませるか、その後の競技生活や将来の進路にも左右しかねることもあり、言葉を選びながら慎重に接しているつもりです。時にコミュニケーションが取りづらいこともありますが、何とか共通の話題を探りながらコンタクトをとって診療しております。

こうして開業してからいろいろ振り返ってみますと日々の診療は外来のみで単調と思われるかもしれませんが、大学における診療や学術的な活動とはまた違った面もあり、意外にバリエーションに富んでおり、試行錯誤しながら毎日の診療に追われているところもあります。また患者様からのニーズも以前とは比べものにならないほど多種多様になっており、いわゆるオーダーメイド的な医療が今後必須になるのではないかと思われます。一開業医では診療の限界もあり、時々大学に患者様の紹介や症例の相談をさせて頂いていますが、波呂教授をはじめ教室の先生方にはいつも快く引き受けて下さり大変感謝しております。

現在大学における研究環境は以前よりかなり厳しさが増してきているのではないかと思われます。一部の大学病院と治験を依頼する製薬会社との関係や大学における研究者自身のモラルの問題など何かと報道に取り上げられ、世間でも事ある毎に注目されております。私は責任ある立場ではありませんので、偉そうなことは言えませんが、あくまで一個人として微力ながら大学に少しでもお役に立てることがあれば貢献させて頂きたいと思います。これから山梨整形外科学教室の益々の発展を祈念しますとともに、山梨大学整形外科同門の一診療所として今後共どうぞ宜しくお願い申し上げます。

しんゆり青木整形外科

院長 青木 航洋

医局を離れて11年が経ちました。当院は、川崎市北部の小田急線新百合ヶ丘駅から徒歩4分のクリニックビル内に、2009年4月に開院しました。同ビルは、聖マリアンナ医科大学付属研究所が設計し、医療に特化した人に優しいビルをコンセプトに造られています。ビル内には10の医院が入っており、CTやMRIの検査をビル内で施行可能です。不定期に聖マリアンナ医科大学放射線科のドクターとカンファレンスを実施しています。また、近隣に2012年から新百合ヶ丘総合病院が開設され、整形外科医や脊椎外科医などとの病診連携がスムースに行えるようになりました。当地域の整形外科医院は現在9院で、過去に閉院と開院が相次いだためドクターが入れ替わり、交流があまりありませんでした。顔が見えない地域医療は理想的でないため、5年前から発足させた新百合地区整形外科勉強会を年2回程度開催しております。

しんゆり青木整形外科

さて当院は、ひとり医師です。スタッフは、受付2名・看護師1名・診療放射線技師2名・柔道整復師5名です。開院前に、恩師より「開業はマラソンだからな!」と重いお言葉をいただきましたが、ご存知の通り診療は健康あっての体力勝負です。年齢を重ねると、思いもかけない不調が生じ、疲れやすく精神力が奪われてしまいます。驚いたことに、2階までの階段ですら下肢が重くなり登り辛くなるのですね。若いころは、24時間365日働けると思っていたのが最近では敵いません。そこで、体力維持と精神力鍛錬のために、11年前から始めた波乗りを週に3回ないし4回しています。また、スタッフと自然への恩返しとして、ビーチクリーン活動付きの飲み会を2か月ごとに主催しています。波乗りは、自然に身をゆだね無心になり、時には苦しい体力勝負を克服し、また、波に乗っている瞬間はこの世とあの世の中間にいるような浮遊した感覚になります。ちなみに、体幹強化とバランス訓練には最高のリハビリになります。

事業主になると、今まで知りえなかった苦労を経験し、人との関わりの大切さを痛感します。世間は、人の責任を追及することが多くなったせいか、「ありがとう」という気持ちを持つことが少なくなったような気がします。また、最近の日本では好まれませんが、若いうちは無償でも苦労しておくことが、後の自分のためになるでしょう。留学や多くの論文執筆を経験しておくと良いと思います。私でもできることを少しずつ実践しようと、学会の理事でのお手伝いと、医療以外のパーティーなどの社交場に顔を出すようにしていますが、特に波乗り関係の友人が増えたのが、嬉しい限りです。

最後に、私の人生の目標は、波乗り(心身鍛錬)と畑仕事(自給自足)ができる環境に移住(自然帰化)し、地域で愛される小さな医院(本当に必要とされる人の為の医療)を作ることです。

写真:日本整形外科医学会サーフィン大会にて

おの整形外科クリニック

院長 小野 尚司

平成16年に開院して、12年となりました。干支で考えますと、丁度一巡りしたところであります。これまでの、大きな出来事として、東日本大震災と、山梨を襲った大雪は忘れられません。

午後の診療の始まるわずか前、地震かと思うと、その揺れは止むどころか、ますます大きくなっていきました。スタッフを、リハビリ室に避難させて、待合室のテレビで、この大きな揺れの震源が東北地方と知り、途轍もなく大きな地震が起きたことを知りました。多くの人が、そうであったと思いますが、人生観が変わる規模であったのではないでしょうか。その後は、電力の不足に備えるための計画停電により、診療の中止が続きました。電子カルテ、リハビリ機器、いかに電力に依存しているか思い知らされました。幸いなのか皮肉なのか、自宅は、甲府駅や県庁、警察と同じ電力の供給エリアにあり、一度も停電に遭うことはありませんでした。この未曾有の大災害には、皆さんも、未だにいろいろと思わされるところがあると思いますが、目の前の事を粛々とこなす以外に、自分に出来ることはない事が歯がゆい思いです。

平成 26年には、山梨県全体が、孤立し機能不全となった大雪があります。ほぼ 1週間、クリニックに閉じ込められました。どうあがいても、人間の手では、どうしようもない大雪でした。目の前に、高校の後輩が、清水内科クリニックを開院しております。この状況では、患者さんも来られるはずはなく、スタッフも自宅から出られません。昼間は、お互い人力で、虚しくも効果のない雪かき、夜は、二人して石和温泉の地の利を活かして旅館の温泉につかり、居酒屋で食事。人間の適応力は、恐ろしいもので、次第に二人して、そんな生活が、楽しくなってきました。1日の仕事を終えようとする頃に知人が、ブルドーザーで除雪にやって来てくれました。あっという間に、私たち2人の苦労した足跡は消えましたが、駐車場のアスファルトがまぶしく見えました。ところで、こんな車も走れない最中に、1台の車が、雪の上を楽しそうに飛び跳ねるように、確かにそう見えたのですが、走っているではありませんか、それがジムニーでした。この雪を教訓に、現在660ccのジムニーに乗っております。そして、それは改造され、油圧式の除雪機の脱着が可能となっております。その威力は、1月の雪で実証され、スコップを一度も持つことなく、車内で缶コーヒーを飲みながら、除雪することが出来ました。

クリニックの紹介とは、程遠い内容となりましたが、最後に、教授始め大学関係者、医局時代の恩師、先輩、後輩の皆様に、日頃お世話になっておりますことを、ここに書面をお借りして感謝申し上げます。今後とも、何卒よろしくお願いいたします。

いのうえ整形外科クリニック

院長 井上 悟

平成24年11月に静岡県富士宮市にいのうえ整形外科クリニックを開業しました。私は静岡県出身で山梨医科大学を卒業後は平成元年より山梨医科大学整形外科教室に入局し、関連病院に勤務していました。9年前に蒲原総合病院に勤務となり約25年ぶりに静岡県に戻ってまいりました。富士山を見て育ちましたが、日常の風景であり今までは気にも留めていませんでした。富士宮市に来てから富士山の大きさに驚き、改めて立派な山だなと感動しています。ここの地域の方々は親切で人柄がよい方が多く、少しでもお役にたてればという思いが自然に湧いて来ます。クリニックの近隣には農家の方が多く、よく採れたての野菜や果物をいただきます。最近では患者さんから採れたてのキウイを3箱ほど頂き、ビニールで密閉すると早く熟すとかリンゴを一緒にいれておくとおいしくなるとか色々と教えて頂きました。富士宮は人だけではなく野菜、水、酒もいいところです。残念ながら飲酒は医者に止められているので現在は禁酒中です。静岡県の医師数は人口10万人あたり202人(全国平均245人)で全国では42番目にあたる医療過疎の県です。静岡市や浜松市といった中部、西部地方に比べ東部地方は医療機関が少なく、特に富士圏域(富士市、富士宮市)の整形外科病床不足の状況は依然として厳しいようです。早く改善するように願いつつ、微力ながらもお手伝いできればと考えております。開業後1年数か月して病気で倒れ、危うく廃業となりかけたところ、山梨大学整形外科の波呂教授はじめ同門の先生方のご尽力をたまわり、診療をつづけることができるようになりました。いくら感謝しても感謝し尽くせません。誠にありがとうございました。個人業の厳しさを知り、独りでは何もできず、如何に人とのつながりが重要かと身にしみて思いました。

このたびの事で多くの方々にご迷惑をおかけしてしまいました。今後は健康に留意し皆様のご厚意を無駄にしないよう努力してまいります。引き続きご厚情のほどよろしくお願い申しあげます。

いのうえ整形外科クリニック