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東北地方太平洋沖地震被災地へ医療救護班として参加

教室における東北地方太平洋沖地震に対する活動報告                          
 この大震災で亡くなられた方に心から哀悼の意を表し、また、被災された多くの方々にお見舞いを申し上げるとともに、早期の復旧復興をお祈りいたします。
 3月11日金曜日14時46分に、私は大学病院で手術中でした。山梨でも非常に強い揺れを感じ、手術室でも一時的な停電となり自家発電となるまで、患者さんが手術台から落下されないように必死に支えておりました。手術は弱い揺れの時間に少しずつ進めて、無事に終了しました。その患者さんは術後経過が良好で安堵しております。東北地区には多くの親しくしていただいている先生や知人がおりますが、地震後しばらくして連絡をいただき、その惨状に心を痛めました。
 当院では災害医療チームが宮城県で活動を行っており、整形外科教室からも参加しております。その活動について御報告させていただきたいと存じます。   波呂浩孝

第4班報告  我々は山梨大学並びに山梨県の代表として南三陸町に派遣され無事戻ってきました。3月27日から3月30日(実際に山梨に戻ったのは31日5時30分)で宮城県に派遣となりました。地震の被害としては福島の方がひどく、屋根が壊れてブルーシートが張ってあったり、東北新幹線の架線の電柱も曲がっていました。

第3班の佐藤 信隆先生から申し送りを受け活動を開始しています。
 南三陸町の医療状況としては急性期を終え亜急性期から慢性期へと移行していました。診療所での診療の中心は慢性疾患の投薬(以前もらっていた薬がなくなった、津波で流されて薬がなくなってしまったetc.)と上気道炎や下痢などの対応、避難所での生活に伴った腰痛や関節痛に対して治療を行いました。以前の班が中心に行っていた訪問診療(個々の家を訪ねて現状の把握と治療を保健師と行うもの)は一段落してきていました。
 山梨大学のチームは医師1名、看護師2名、薬剤師1名、事務員2名の6名で構成され、事 務員はベイサイドアリーナの南三陸町の医療全体をコントロールしている西沢先生をサポートする事務部門の中心とし た役割を果たしています。毎朝事務グループをベイサイドアリーナに残し、残りの4名は歌津地区の中心的な診療所である歌津中学校を中心に活動することになってきていました。ここには奈良県医師会が24時間常駐し医師1名、看護師1名、保健師1名、事務員1名の4名の体制でありました。このチームと一緒に2診体制で患者を診察したり、巡回訪問の保険師から依頼があった患者の訪問診療をした りしました。
 今回の南三陸町は地震の被害より津波の被害が明らかに大きく津波で道路や家が破壊されていました。車で移動できる所だけではなく、巡回訪問を行うには津波で流されたあとの仮設の道を歩いての訪問となるところも多くみられています。
 医療体制は日々改善してきていました。3月29日からイスラエルのチームが仮設診療所を設置し、レントゲン検査・採血・エコーなどの検査が可能となってきました。またお産や 小手術も可能な設備が利用可能であります。電気もベイサイドアリーナにはあと数日で復旧する見通しの様でした。しかし各々の避難所の診療所では情報伝達の手段が少なく、また薬剤が不足しがちであります。患者もガソリン不足から移動が困難でありかかりつけの専門医の受診が困難なため、通院可能な近くの診療所で診察・投薬を受けていました。南三陸町は公立志津川病院(126床)と開業医6軒ありましたが全て被災していました。
 3月30日には第1回ヘルスクラスターミーティングが開催さ れました。このミーティングは南三陸町に参加している医療チームと本部、行政、自衛隊医官、イスラエルチームが参加し、情報の共有と各チームからの意見ならびに今後の見通し、イスラエルチームとの連携方法などについて等を話し合っております。
 今回この4日間の活動に参加させていただき津波による被害の大きさに驚くばかりでありました。また現在の日常生 活が電気・水道・電話・インターネット・携帯など多くのインフラで支えられていることを再度認識させられました。
現地の西沢先生はじめ多くの方々が復興のために努力されていることを直接拝見できたことをうれしく思いました。我々は医療という分野で仕事をさせていただいているので今回このような援助を行えましたが、すべての人々が個々の可能な範囲での援助を行っていただければと考えました。  河野秀樹(第4班)

第3班報告
 東北地方太平洋沖地震被災地へ山梨大学医学部医療救護班の第3班として参加してきました。場所は宮城県南三陸町で編成は医師1名、看護師2名、薬剤師1名、事務2名の 総勢6名のグループでした。3月24日から4日間にわたり活動しました。南三陸町には大小40もの避難所があり、その避難所には数多くの医療斑が診療に当たっており徐々に安定してきたところでした。しかし、孤立した集落も多く、役場も流されたため、どこにどれだけの人が避難していて、医療を必要としている人がどれだけいるか不明な状態でした。そこで、我々第3班が行った活動は、南三陸町の北に位置する歌津中学校の避難所を中心に、未だ医療斑が訪問していない、集落を1軒ずつ回り、その様子を伺ってくることでした。約3日間にわたり、車でいけないところは徒歩で1軒ずつ訪問して来ました。そこでは整形外科医としての腰痛・関節痛の診察だけでなく腹痛・アレルギー疾患といった、全科当直のような診療でした。訪問した家の人たちは皆さん同様に「大丈夫・心配ない・悪いところはない」と返事をされましたが、話しているとだんだん と、今回の震災のこと・体の調子のことなど、徐々に話していただけました。皆さん、家が残っているのに、色々と訴えてはいけない・我慢しなくてはいけないといった、ほんとに遠慮深い方々ばかりでした。聞くに堪えられないような経験をされた方も多く、中々、話すこともできない様子で、一度話し始めると止まらなくなってしまうこともありました。この、3日間の活動で医療だけでなく少しでもお役に立てたなら幸いと思っています。最後に、今回の活動を通して、温かい場所で温かいものを家族みんなで食事するといたった、当たり前に思えることが実は一番の幸せなのかと感じられた4日間でした。これからも大変なことばかりと思われますがエールを送り続けたいと思います。        佐藤信隆(第3班)